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第9話「決戦、第3新東京市」

 ぶつぶつもごもごとなにやら口の中で呟いている綾波レイは、純白のプラグスーツに身を包んでエヴァ零号機のエントリープラグのそばに屈み込んでいた。

 もうすぐ再起動実験が始まる。

 数ヶ月前の起動実験で大怪我を負った少女である。不安に落ち着かずとも当然であろうと整備員たちは、不審に思うより同情を寄せる。

 こんな子どもを戦わせなきゃならんのだからなあ。

 命令者である碇ゲンドウを怨むことはない。パイロットがエヴァに乗るのは当り前のこと。自分たちだって幼い頃にセカンドインパクトの地獄を見ている。あの地獄を繰り返さないためには、誰であってもやらなきゃならん、やってもらわなきゃならん。

 子どもだというただそれだけの理由で、全てが免除されて当然だと思うようなモラトリアムな感性は、新世紀の人間にはない。

 ないのだが、それでもまあ、いたいけな少女が戦闘服に身を包んできりりと紅の瞳を輝かせているのを見れば、胸迫るなにかがあるのは人の素直な感覚だった。

 ただ、少女のほうは、同情やら感動やらされるような思いでエントリープラグに対峙しているわけではなかった。

 使徒に対する恐怖などはないし、再起動実験に対する不安ももちろん欠片もない。

 落ち着かずこんなところにいるのではなくて、じつは綾波レイの頭の中には策謀が渦巻いている。

 ジャージ着た誰かやメガネかけた誰かが悪いのか、牛みたいな乳した誰かが悪いのか、ともかく期待に幼い胸を膨らませたイベントはついに起きなかった。

 碇くんはセキュリティ・カードを持って打ち寂れた取り壊し寸前のマンモス団地を訪れてはくれなかった。

 いまさらあんなところでいても面白くないもの。

 綾波レイは、たぶん、腹を立てていた。

 怒っているのね、私。とは言わなかったが。

 過ぎたことは、しかし、仕方がない。起こせ得なかったイベントは、それでもなにかに代替されねばならない。

 下手をすると、弐号機パイロットがやってくるまで何も成し得ないまま終わってしまう。碇くんが私に胸きゅんにならない間に、フィフスまでやって来てしまうかも知れない。

 それはとてもいけないことなの。

 弐号機パイロット。赤、弐号機は赤い。赤い色は嫌い。

 綾波レイの思索は巡る。へぼへぼと連想ゲームをしながらも。



「レイ」

 と呼び捨てる男は、ネルフには二人しかいない。

 司令と副司令。

 そして今、少女の背後に立っていたのは碇司令だった。

「はい」

 と返事をして振り返るレイだが、微笑みは浮かばない。

 今更、ゲンドウに縋ってもせんないことだからだ。もう裏切りの言葉は紡がれてしまった、サードインパクトから回帰した綾波レイにとっては。

 ゲンドウは綾波レイを、ある意味可愛がってはいるのだろうが、所詮、人類補完計画という大義の前には道具でしかない。

 約束の時には、その絆は終わりを迎えるのだ。それを越えてまで、自分に拘ってくれる男ではなかった。

 どちらにせよ。

 綾波レイはもはや、無を望んではいないのだから。

「心配ない」

 ゲンドウのかけた声は短かった。意味は充分に分かる。起動実験を前にしたレイを励ます言葉だ。

 表情も、ゲンドウにしてはずいぶんと優しげに。整備員たちには、酷薄にしか見えない口元なのだが、綾波レイにはその微妙な違いが分かる。

 分かるけれども。

 だめなのね、もう。

 その顔にも胸ははずまないのであった。

 少女はだから、ただこくりと頷いた。

「私が。やります」

「そうか」

 碇ゲンドウは、レイのその言葉を起動実験のことだと理解した。

 使徒襲来が冬月から報告されるその瞬間まで、勘違いに気付かなかった。



 第五使徒、と呼称される。四角くてキラキラしていてピラミッドを重ね合わせたような幾何学的でメカニカルなくせに物理法則を無視してぽわんぽわんと空中を漂ってきたやつは、零号機が起動したのと時をあわせて、その襲来を報告された。

「総員第一種戦闘配備」

 零号機の管制室で実験を見守っていた碇ゲンドウは、その発令に続いて初号機の発進準備を命令しようとしたのだが。

『出ます』

 凛と涼やかな声音を響かせて、綾波レイが決意を告げた。

 葛城ミサトと赤木リツコが指示を仰ぐようにゲンドウを振り返る。

「まだ零号機は戦闘に耐えん。初号機を……」

『出ます』

 ガキガキガキと。

 レイの声とともに零号機をつなぎ止める拘束具が軋み音を響かせた。

 ゲンドウとて、強いて零号機を温存するつもりはないが、まだ満足な戦闘装甲も施されていない零号機を出すより、整備万全、パイロットもやる気満々の初号機を出したほうが、考えるまでもなく得策なのである。

「レイ。零号機はまだ実験……」

『出ます』

 普段、少なくともゲンドウには従順そのものの綾波レイが、頑なに言い張れば。

 さしものゲンドウもううむと唸って赤木リツコの顔をうかがった。

「シンクロには問題ありません。出撃は可能です」

 赤木リツコもまた、レイの後押しをするような返事。

「偉いわ、レイ。さすがはファーストチルドレンね」

 碇シンジとの関係改善は成った――ような気はするものの、酔いが醒めればいまいちまだ拘りの抜けない葛城ミサトも、シンジを使うよりレイのほうがちょっぴり気が楽かもと、無責任にレイの決意を褒めそやす。

 冬月コウゾウは、どっちでもいいからはやく決めろと言いたげな顔で見つめているし。

 碇ゲンドウもついに肩をすくめた。

「レイ。無理をするな」

 出撃を命ずる言葉にしては、とてつもなく気が抜けているような感じだが。

 何故そこまで綾波レイが出撃したがるのか、碇ゲンドウには理解できなかったから、妙に後ろ向きな言葉になってしまうのは仕方がないのであった。

 いや、レイの気持ちなど、誰にも理解できてはいなかった。



『ああああああ!』



 射出されるやいなや、リフトオフの暇もなく使徒から降りかかった加粒子砲の直撃。

 真っ青になった葛城ミサトの命で、大急ぎで引き戻される間も通信機を通して響きわたる綾波レイの絶叫が、痛みに苦悶ではなく、実は歓喜の叫びであることを。

 冷徹な表情で、実は脚を震わせている碇ゲンドウにも想像だにつかなかった。



 零号機の胸部装甲はぼろぼろになったが、綾波レイのシンクロ率は初号機とシンジのそれに比して、決して高くはない。

 充分にチューン出来ていない初の再起動実験であったから、フィードバックのゲインも低い。

 綾波レイは再び病院送りにこそなったものの、体組織に剣呑な傷害はなく、葛城ミサトが発案したヤシマ作戦遂行に従事することにも支障はないと医師に判断された。

 ネルフ付属病院のベッドで意識を取り戻した綾波レイは、痛みもなく。そしてうふふふふのふと微笑んでいた。

 なにもかも予定通り。碇くんがたぶん、ヤシマ作戦の決行を告げに来てくれるの。

 ほとんど「ニヤリ」と表現してもおかしくないような笑みで、綾波レイは妄想にふける。

 今度は、碇くんが生徒手帳を取り出して、私に作戦予定日時を告げてくれる番。

 私は、問題ないわ、と言って上半身を起こす。

 シーツの下は全裸だもの。玉の肌がぷりんぷりんなの。

 碇くんはあの時のように、真っ赤になったり真っ青になったりしながら、やがてごくりと唾を飲み込んで、私に覆い被さるの。

 やっと碇くんとひとつになる時がやってきたのね。

 綾波レイは仰臥したまま、紅い瞳を忙しなくきょろきょろと動かしては、ほんのり頬を染め、美少女でなければ下品と言われてしまったかもしれないような仕草でぺろりと自分の唇を舐めるのであった。



 だが。

 話は、そううまくは進まない。

 前回(というか前世)、碇シンジの病床に綾波レイが借り出されたのは、葛城ミサト発案による碇シンジモチベーションアップ作戦の故だった。

 あんまりやる気無さそな、使命感に甚だ欠損のある少年を言いくるめて危険な作戦に駆り出すには、同い年の美少女の力を借りるのが一番よ、ということだった。

 冷酷少女の綾波レイでは人選に不安はあったが、それに代わる人材はなかったからしょうがなかった。

 しかし、今は違う。

 病床にあるのは、使命感バリバリに見える綾波レイだし、碇シンジなぞを餌にしてもレイが燃えるとはミサトには思えなかったから。

 それに年頃の美少女のベッドに思春期の少年を向かわせるのは非常識だと思えたから。

 さらに、レイがまたもや入院する羽目になったのは自分の作戦立案に落ち度があったと深く反省したミサトであったから。

 大まかな段取りを終えて、あとは日向マコトに任せた葛城ミサトが、自ら作戦説明に足を運んできたのであった。

「レイ〜? 大事が無くて良かったわ。んで、ほんと申し訳ないんだけど。もう一度零号機で出撃して欲しいのよ」

 ガバと起きあがり、清楚な膨らみを見せる乳房をぷるりんと振った綾波レイは、純朴な少年の焦りの代わりに恥ずかしげもなく突き出た爆乳を見せられて、愕然と凍りついた。

「じゃ、作戦時程を説明するわね」

「……そう、良かったわね」

「え?」

 なにが良かったというのだろう。わけのわからないリアクションに、ミサトのほうが愕然とした。

「じゃ、寝てるわ」

「ちょ、ちょっと。レイってば」

 話が違うもの、と背中を向けてふて寝してしまった少女に。葛城ミサトは、なにがどうなってんのよ、と冷や汗を流すのだった。

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