第8話「リツコ1」
落ち着かないそぶりで葛城ミサト。
リビングに広げられた座卓のはじっこでちょこんと正座して待っている。
「柄じゃないわよ。なにを借りてきた猫みたいに……」
そう言って赤木リツコ博士はおかしそうに笑った。その足下でレンタロウもみゃあと笑った。
レンタロウは猫だが借りてきたわけじゃなく、ここが我が家であるのでおとなしくはしていない。あちらこちら走り回っては身体をぶつけ、キッチンで食事の支度をしている碇シンジの邪魔もしようとするのを、リツコの足で留め置かれている。
「いや、まあ。リツコんちでごちそうになんのも久しぶりかなぁ〜って、ね」
ぽりぽりと頭をかくのだが、実際、ミサトはちょっち緊張しているのであった。赤木博士のマンションにいることに、ではなく、碇シンジとともに夕食をとる、ということにだ。
リツコの助け船に乗って、ようようとシンジを独房から出しはしたものの、気まずすぎてそれっきり話もしていない。
シンジだってミサトの顔を見ると不機嫌そうだった。学校にでも行ってくれればいいのだが、どうもその気になれないようで。保護者たる碇ゲンドウも、「エヴァに乗れ」とは言うくせに「学校に行け」とは言わないので、毎日本部でうろちょろしている。
畢竟、顔を合わせる機会が多くなるのに互いに無視し合っているような風情では。
「訓練にも戦闘指揮にも支障が出るわよ」
と、人間関係などあまり頓着しない赤木博士も呆れたのか、前々から冗談のように話していた赤木邸での3P――ではない、晩餐が実現に至ったわけだ。
「プライベートで食事をともにするのが、互いの親睦を深める第一歩なのよ」
マッドサイエンティストのくせに、えらく常識的なことを曰う赤木リツコ。誰かとの馴れ初めでも思い返しているか、ちょっと複雑に頬をゆがめて、やや強引に誘ってくれた。
「シンジくんも喜ぶわよ、きっと」
口からでまかせのような誘い文句なのだが。
実際、ミサトとの関係に辟易としていたのは、碇シンジも同じことであった。
「お待たせしました」
とウェイターのようなそぶりで料理が盛られた皿を座卓に並べる碇シンジは、笑顔でもないが、本部で出会うときほど冷たい風でもない。
「あ、ありがと」
答えるミサトのほうが戸惑ってしまう。
長年の友人だが、赤木リツコが他人を自宅に招待して食事を出すなんてのは珍しい。味にはうるさいが家庭料理には縁がないと思っていた友人が、なんでまたこんな場をわざわざ設定してくれたのかと思えば、なるほど、碇シンジ少年が食事の世話をしてくれるわけだ。
リツコのやつめ、まさかサードチルドレンを家政婦代わりに使っていたとは。
ちょっち義憤を感じるミサトを責めてはいけない。彼女はサードインパクトから舞い戻ってきたわけじゃないから、前世の記憶なんてないのだ。
「あら、シンジくん。レンタロウの分も作ったの?」
「お食事会でしょ。レンタロウだけキャットフードじゃ可愛そうかな、って」
「それもそうね。レンタロウ、良かったわね?」
「みゃあ」
家主と少年と猫の何気ない会話に、あたしってもしかして猫と同列? と思ってしまったミサトであったが。
「う、うまあい」
一口食べて、感嘆した。
たかが中学生の作る食事である。客観的に言えば、見た目も味も、三流の洋食屋にもかなうまい。プロの料理人は伊達ではないのだから。
それでも。
ミサトは、レストランで食べるより美味いんじゃないかと心底思った。
味付けがミサトの好みにぴたりと合っていたためだ。おまけに。
「はい、どうぞ」
と缶ビールも差し出された。えびちゅだ。
リツコもビールは飲むが、銘柄が違う。予想外の歓待ってやつだった。
「あらん、リツコ、ビール変えたの?」
「違うわよ。シンジくんがあなたのために買ってきてくれたの」
「マジ? よく私の好みが分かったわね。って、リツコに訊いたのか」
「違うわよ」
「なんとなく選んだだけですよ。そのビールにミサトさんの顔が浮かんだような気がしたから」
霊能者か、お前は。
と突っ込みを入れたくなるような台詞を白々と吐いたシンジは、ちょびちょびとウーロン茶を飲んでいた。
表情はずいぶん和んでいる。
リツコの言う通り、家庭でとる食事は関係改善のまたとない契機であるのかも知れない。
「お姉さん、感激だわあ」
調子に乗ればガンガンいっちゃう葛城ミサトは、ほっとしたように破顔してえびちゅをぐいっと一気にあおった。
いつまでも大人げない態度もとっておれまい。中学生相手に言い争ってしまうなぞは、原因がどうあろうと理屈がどうあろうと、ミサトが悪い。
気に入ろうが気に入るまいが、微笑んで軽くいなすことくらい出来なきゃ作戦部長の名が廃る。
「ごめんね、シンジくん」
と、そう諸々の思いを一言に集約して頭を下げようとした葛城ミサトに。
一歩先んじて、碇シンジが頭を下げた。
「ミサトさん。いろいろと反抗しちゃって。すみませんでした」
「えっ。な、なに言ってるのよ」
ぐわぁ、ま、負けた。先に謝られちゃったらあたしの立つ瀬が無いじゃないのぉ。
意地悪そうにほくそ笑んでいる赤木リツコの前で、葛城ミサトの顔は赤くなり青くなる。
たった一本や二本のビールで酔うわけもないのに、くるくると頭の芯が回り始めた。
「エヴァに乗って。使徒の前に出ると怖くなっちゃって。無我夢中になっちゃって。ミサトさんの命令をきかなきゃと思うんだけど、どうしようもなくって……」
訥々と言葉を重ねるシンジに、もともとミサトのうちにあった母性本能に火がついた。
「いいのよ、シンジくん。あたしのほうが無理を言いすぎたわ」
子どもに先に謝られて折れる、なんてのはすさまじく格好悪いが、なりふり構わなくなってしまった葛城ミサト。おろおろと碇シンジの手を取った。
いけ好かないガキと思ってたけど。もしかしてシンジくんって本当は良い子なのかも知れない!
三十路間近のくせに、根が単純な葛城ミサトであった。
目尻に薄く浮かんでしまった涙も本物だ。
「ぼくも出来るだけ。頑張りますから。うまく命令通りに動けなくても」
「え、ええ、叱ったりしないわよ。仕方ないものね。エヴァはあたしたちにだって満足に分かってない兵器なんだし」
「ミサトさん……」
「心配しないでいいわよん。あたしじゃエヴァは動かない。シンジくんに頼るしかないんだから」
出来る限り、シンジくんの動きやすいようにフォローして行くわ、これからは。
などと、とんでもない約束を交わしてしまうのである。
腹もくちたし、懸念の関係改善も成ったし、すこぶるご機嫌で葛城ミサトは赤木邸を後にした。
ふらりふらりと楽しげに歩みを千鳥に、愛車ルノーにもぐりこむ。
見送る二人と一匹の顔に、じゃあねえと手を振り、爆音も軽やかに去っていく。
「さて」
と赤木リツコは、夜闇に溶けた友人の車の残香、つまり排気ガスに顔をしかめながら碇シンジを振り返った。
「まあ、こんなものでしょう」
「ほんとだ」
とシンジはちょっと感心のそぶり。
「リツコさんの言う通りにやったら、ミサトさんの態度が変わっちゃいましたね」
「長い付き合いだもの」
ミサトの感じ方、考え方くらい分かるし、手玉に取るのもおちゃのこさいさいよ、という風にリツコは苦笑する。
「でもね、シンジくん」
「はい?」
「あなたは。使徒を殲滅できさえすれば、それでいいの?」
碇シンジは、足下にじゃれついてきたレンタロウを抱え上げて、しばらくじっと彼方を見つめていたが。
「もう一度、逢いたい人がいますから」
零れ落ちるようにぽつりと。中学生にしてはえらく深い声音で。
赤木リツコは、誰に、とは聞かず、静かに「そう」と頷いた。
「もう寝ましょう。明日は零号機の再起動実験だわ」
「……はい」
リビングに広げられた座卓のはじっこでちょこんと正座して待っている。
「柄じゃないわよ。なにを借りてきた猫みたいに……」
そう言って赤木リツコ博士はおかしそうに笑った。その足下でレンタロウもみゃあと笑った。
レンタロウは猫だが借りてきたわけじゃなく、ここが我が家であるのでおとなしくはしていない。あちらこちら走り回っては身体をぶつけ、キッチンで食事の支度をしている碇シンジの邪魔もしようとするのを、リツコの足で留め置かれている。
「いや、まあ。リツコんちでごちそうになんのも久しぶりかなぁ〜って、ね」
ぽりぽりと頭をかくのだが、実際、ミサトはちょっち緊張しているのであった。赤木博士のマンションにいることに、ではなく、碇シンジとともに夕食をとる、ということにだ。
リツコの助け船に乗って、ようようとシンジを独房から出しはしたものの、気まずすぎてそれっきり話もしていない。
シンジだってミサトの顔を見ると不機嫌そうだった。学校にでも行ってくれればいいのだが、どうもその気になれないようで。保護者たる碇ゲンドウも、「エヴァに乗れ」とは言うくせに「学校に行け」とは言わないので、毎日本部でうろちょろしている。
畢竟、顔を合わせる機会が多くなるのに互いに無視し合っているような風情では。
「訓練にも戦闘指揮にも支障が出るわよ」
と、人間関係などあまり頓着しない赤木博士も呆れたのか、前々から冗談のように話していた赤木邸での3P――ではない、晩餐が実現に至ったわけだ。
「プライベートで食事をともにするのが、互いの親睦を深める第一歩なのよ」
マッドサイエンティストのくせに、えらく常識的なことを曰う赤木リツコ。誰かとの馴れ初めでも思い返しているか、ちょっと複雑に頬をゆがめて、やや強引に誘ってくれた。
「シンジくんも喜ぶわよ、きっと」
口からでまかせのような誘い文句なのだが。
実際、ミサトとの関係に辟易としていたのは、碇シンジも同じことであった。
「お待たせしました」
とウェイターのようなそぶりで料理が盛られた皿を座卓に並べる碇シンジは、笑顔でもないが、本部で出会うときほど冷たい風でもない。
「あ、ありがと」
答えるミサトのほうが戸惑ってしまう。
長年の友人だが、赤木リツコが他人を自宅に招待して食事を出すなんてのは珍しい。味にはうるさいが家庭料理には縁がないと思っていた友人が、なんでまたこんな場をわざわざ設定してくれたのかと思えば、なるほど、碇シンジ少年が食事の世話をしてくれるわけだ。
リツコのやつめ、まさかサードチルドレンを家政婦代わりに使っていたとは。
ちょっち義憤を感じるミサトを責めてはいけない。彼女はサードインパクトから舞い戻ってきたわけじゃないから、前世の記憶なんてないのだ。
「あら、シンジくん。レンタロウの分も作ったの?」
「お食事会でしょ。レンタロウだけキャットフードじゃ可愛そうかな、って」
「それもそうね。レンタロウ、良かったわね?」
「みゃあ」
家主と少年と猫の何気ない会話に、あたしってもしかして猫と同列? と思ってしまったミサトであったが。
「う、うまあい」
一口食べて、感嘆した。
たかが中学生の作る食事である。客観的に言えば、見た目も味も、三流の洋食屋にもかなうまい。プロの料理人は伊達ではないのだから。
それでも。
ミサトは、レストランで食べるより美味いんじゃないかと心底思った。
味付けがミサトの好みにぴたりと合っていたためだ。おまけに。
「はい、どうぞ」
と缶ビールも差し出された。えびちゅだ。
リツコもビールは飲むが、銘柄が違う。予想外の歓待ってやつだった。
「あらん、リツコ、ビール変えたの?」
「違うわよ。シンジくんがあなたのために買ってきてくれたの」
「マジ? よく私の好みが分かったわね。って、リツコに訊いたのか」
「違うわよ」
「なんとなく選んだだけですよ。そのビールにミサトさんの顔が浮かんだような気がしたから」
霊能者か、お前は。
と突っ込みを入れたくなるような台詞を白々と吐いたシンジは、ちょびちょびとウーロン茶を飲んでいた。
表情はずいぶん和んでいる。
リツコの言う通り、家庭でとる食事は関係改善のまたとない契機であるのかも知れない。
「お姉さん、感激だわあ」
調子に乗ればガンガンいっちゃう葛城ミサトは、ほっとしたように破顔してえびちゅをぐいっと一気にあおった。
いつまでも大人げない態度もとっておれまい。中学生相手に言い争ってしまうなぞは、原因がどうあろうと理屈がどうあろうと、ミサトが悪い。
気に入ろうが気に入るまいが、微笑んで軽くいなすことくらい出来なきゃ作戦部長の名が廃る。
「ごめんね、シンジくん」
と、そう諸々の思いを一言に集約して頭を下げようとした葛城ミサトに。
一歩先んじて、碇シンジが頭を下げた。
「ミサトさん。いろいろと反抗しちゃって。すみませんでした」
「えっ。な、なに言ってるのよ」
ぐわぁ、ま、負けた。先に謝られちゃったらあたしの立つ瀬が無いじゃないのぉ。
意地悪そうにほくそ笑んでいる赤木リツコの前で、葛城ミサトの顔は赤くなり青くなる。
たった一本や二本のビールで酔うわけもないのに、くるくると頭の芯が回り始めた。
「エヴァに乗って。使徒の前に出ると怖くなっちゃって。無我夢中になっちゃって。ミサトさんの命令をきかなきゃと思うんだけど、どうしようもなくって……」
訥々と言葉を重ねるシンジに、もともとミサトのうちにあった母性本能に火がついた。
「いいのよ、シンジくん。あたしのほうが無理を言いすぎたわ」
子どもに先に謝られて折れる、なんてのはすさまじく格好悪いが、なりふり構わなくなってしまった葛城ミサト。おろおろと碇シンジの手を取った。
いけ好かないガキと思ってたけど。もしかしてシンジくんって本当は良い子なのかも知れない!
三十路間近のくせに、根が単純な葛城ミサトであった。
目尻に薄く浮かんでしまった涙も本物だ。
「ぼくも出来るだけ。頑張りますから。うまく命令通りに動けなくても」
「え、ええ、叱ったりしないわよ。仕方ないものね。エヴァはあたしたちにだって満足に分かってない兵器なんだし」
「ミサトさん……」
「心配しないでいいわよん。あたしじゃエヴァは動かない。シンジくんに頼るしかないんだから」
出来る限り、シンジくんの動きやすいようにフォローして行くわ、これからは。
などと、とんでもない約束を交わしてしまうのである。
腹もくちたし、懸念の関係改善も成ったし、すこぶるご機嫌で葛城ミサトは赤木邸を後にした。
ふらりふらりと楽しげに歩みを千鳥に、愛車ルノーにもぐりこむ。
見送る二人と一匹の顔に、じゃあねえと手を振り、爆音も軽やかに去っていく。
「さて」
と赤木リツコは、夜闇に溶けた友人の車の残香、つまり排気ガスに顔をしかめながら碇シンジを振り返った。
「まあ、こんなものでしょう」
「ほんとだ」
とシンジはちょっと感心のそぶり。
「リツコさんの言う通りにやったら、ミサトさんの態度が変わっちゃいましたね」
「長い付き合いだもの」
ミサトの感じ方、考え方くらい分かるし、手玉に取るのもおちゃのこさいさいよ、という風にリツコは苦笑する。
「でもね、シンジくん」
「はい?」
「あなたは。使徒を殲滅できさえすれば、それでいいの?」
碇シンジは、足下にじゃれついてきたレンタロウを抱え上げて、しばらくじっと彼方を見つめていたが。
「もう一度、逢いたい人がいますから」
零れ落ちるようにぽつりと。中学生にしてはえらく深い声音で。
赤木リツコは、誰に、とは聞かず、静かに「そう」と頷いた。
「もう寝ましょう。明日は零号機の再起動実験だわ」
「……はい」