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第7話「ヤマアラシのジレンマ」

「はあぁあ〜」

 とんでもなく冴えない顔の葛城ミサト。

 吐き出されたエクトプラズムは長あく伸びて、よたよたとリツコの首筋にわだかまった。

 キーボードを叩く手を止めて、蠅でも追う払うように首をふる。綺麗に染められた金髪がひらひらと舞った。

「あなたねえ」

 その金髪の下にのぞく黒い眉を思いっきりいやそうにしかめて。

「ものすごく邪魔よ。何しに来たの、こんなところまで」

 第三市郊外の山腹だ。先日、初号機によってしとめられた第四使徒の残骸跡にプレハブの分析施設が建てられている。

 その一室。

 赤木リツコ博士は、今回は損傷も少なく回収できた使徒を解析するべくコンピュータにかじりついていたが、作業ヘルメットを首にひっかけたミサトの来訪のせいでまるきり捗らない。

 何用というわけでもない。ただ後ろに突っ立って、溜息を浴びせかけられていたのではやってられない。

「前回といい、今回といい。いい加減にしなさいよ」

 冷たくつめたくあしらうのだが。

「だってだってさ」

 と、ミサトは唇を尖らせた。

「いい歳してそんなことをしても可愛くないわよ?」

 まあ、リツコにもミサトの気持ちは分からなくはなかった。

 ことごとく作戦部長の命令に逆らいまくっての碇シンジ独断専行。それで危なげなく使徒殲滅に至ったのだから。

 これでは作戦部長の立つ瀬がない。

 とはいえ。

「いつまでシンジくんを独房に入れておくつもり?」

 中学生の少年に対するには、やりすぎの処罰だと思うのであった。



 戦闘終了時には、ミサトはブチ切れていた。

 もしかして戦闘に巻き込まれて四肢バラバラに吹っ飛んでいるかも知れないシンジのクラスメイトの回収は日向マコトに任せ、自分は初号機ケージにすっ飛んでいった。

 エントリープラグから降りてきたシンジの顔を見るやいなや、手加減無しに張り手をかました。

 整備員が慌てて止めに入らなければ、倒れたシンジをまだ足蹴にしていたかも知れない。

「なにするんですか?」

 と言葉遣いはおとなしかったが、ひどく剣呑な目つきで。シンジは切れた唇から伝う血を手の甲で拭って、倒れたままミサトを睨み付けた。

「あんた、自分がなにしたかわかってんの!?」

「使徒を殲滅しました」

 ふてくされたように返された言葉に、ミサトの怒りはおさまらなかった。

「んなこと言ってんじゃないわよ!」

 頭、冷やしてきなさい! とそのまま独房にほうりこんだ。

 冷やすのは葛城一尉のほうでは、と整備員は思っただろうが。冬月副司令は黙って何も言わなかったし、リツコは馬鹿な真似をと揶揄したものの作戦部の管轄とはねのけられては止める権限はなかったし。

 血の気の多い友人のこと、今はなにを言っても無駄だと肩をすくめるしかなかった。



 もちろんミサトも、中学生相手にまともに懲罰など与えるつもりはなく。独房といっても牢屋ではなく仮眠室のひとつを割り振っただけであるし。そこに押し込めるのもその晩限りのつもりであったはずなのだが。

 翌朝。

「どうなの。頭は冷えたかしら?」

「なにが、ですか?」

「言わなきゃわからないわけ? 子どもじゃあるまいし」

「ぼくは子どもですよ」

「いちいち逆らって! どうしてあたしの命令を無視したの?」

「使徒はやっつけたじゃないですか」

「何度言えば分かるの? エヴァはあなたの玩具じゃないわ。私達ネルフの、いえ国連の決戦兵器なの。命令系統を無視した運用なんて出来ないことなのよ」

「パイロットはぼくです。ぼくが乗らなきゃ動かないじゃないですか」

「思い上がらないで」

「思い上がってなんていませんよ。ぼくは使徒を殲滅するだけですから」

「それは使徒を殲滅するのはつとめよ。でもね、だからってあなた、私の命令を無視して、それもあの子たちはあなたのクラスメイトでしょ? そのクラスメイトを見殺しにするような真似をして、それでもいいわけ?」

「……死んだんですか? トウジたち」

「殺すんじゃないわよ。とても幸運なことに怪我もほとんどなし。かすり傷だけだったわ」

「なんだ。死ななかったんですか」

「あんた。友達が死んだほうが良かったの!?」

「別に。あんなところにいたほうが悪いんじゃないですか。知りませんよ、ぼくは」

「……呆れたわね」

「それはぼくの台詞ですよ」

「いいかげんにしなさい!」

 発令所のモニタでその様子を眺めていたリツコは、下手なやり方だと思った。思春期の少年に対して、あんな物言いでは話は進むまい。

 それは、反省するまでずっとここにいなさい、と反省ノートを投げつけて憤然と独房を後にしたミサトも悟ってはいた。

 悟ってはいたが、どうにもうまくコミュニケーションが出来ない。

 部屋を出ていこうとしたミサトに、ぽつりとシンジが漏らした。

「ぼくはミサトさんの人形じゃない」

 その言葉が耳に残って重かった。



 リツコからヤマアラシのジレンマがどうのこうのとつまらない話で説諭されるまでもなく、ミサトも己に苛立ってはいたのだ。

「でも、どうしようもないのよぉ」

 とプレハブ研究室でリツコに泣きつく以外にうまい案が浮かんでこない。

「あたしだってね、はやくシンジくんを出したいのよ。訓練だってしてもらわなきゃなんないし。でもさでもさ」

「意固地になってもなにも解決しないわよ?」

「だから。意固地になってんじゃないのよぉ」

 しくしくとミサト。

「反省ノートにさ、ほんの一言でも悪かったとか、まずかったかも、とか書いてくれたらそれでいいのよ。なのに、あの子、下手くそな落書きしてるだけでさ」

 シンジは渚カヲルのつもりだったのだが、いかんせん絵心はなかった。ミサトの眼には蛙のマンガにしか見えず、それは自分を馬鹿にする意味なのだとしかとれなかった。

 このまま独房からすんなり出すわけにはいかない。きっかけもなしに「もうよろしい」では、今まで独房に入れていた時間がまるっきりの無駄になってしまう。

 にっちもさっちもいかなくなってしまっていた。

「ねえ、ミサト?」

 リツコは解析不能コードを表示しているコンピュータに見切りをつけ、うじうじしている友人に向き直った。

 解析といってもなにを期待していたわけでもない、ここはミサトのために骨をおるか、と。

「あなたはシンジくんをどうしたいの?」

「どうしたいって、あたしはただ……」

「14歳の子どもよ、彼は。それを選択の余地無くエヴァに乗せて、戦闘に向かわせてる。それでも彼は文句を言うわけでもなく、使徒殲滅にやる気を見せてくれてるわ。理想的なパイロットじゃない」

「それはそうなんだけど。でも、なにか違うのよ」

「使徒殲滅が最優先。それ以上は望まないわ」

「あんたがそんなに割り切ってられんのは、シンジくんと一緒に暮らしてっからでしょ」

「なに言ってるの。あなたのおかげでもう一週間近く、ひとり暮らしよ。レンタロウの世話だってあるのに」

「ネコの話、してんじゃないわよ!」

「そうね、ネコの話じゃない。でも子どもってネコみたいなものよ。気まぐれだし、なついているようでも、どこか孤高。思い通りにいくもんじゃないわ」

「シンジくんはね、なついてくれもしないわよ」

「それが不満? 結局?」

「違う。違うと思う」

 ミサトは唇を噛んだ。恨めしげにリツコを見やる。

「……シンジくんもレイも囲ってるあんたにはあたしの気持ちなんて分かんないわよ」

「囲ってるわけじゃないわ。それにあたしもレイに反抗されたばかりよ」

「へ?」

 唐突な言葉に耳を疑うミサトだ。

「あのレイが反抗?」

「あなたほど大した問題じゃないけれどね」

 とリツコは昨日の話をした。

 ようやく退院したレイに、新しいセキュリティカードを渡そうとして、と。



 綾波レイはその無表情な顔を、もう少しできょとんとしていると表現できそうなほどに呆然とさせて、リツコの手に握られたカードを見つめた。

「なにしてるの。さっさと取りなさい。セキュリティシステムはもう更改してあるから、このカードがないとあなたも本部へ入れなくなるわよ」

 なにを躊躇っているのか、と怪訝そうなリツコに綾波レイは言ったのだ。

「……これは約束が違うと思う」

 訳が分からなかったのはリツコのほうである。

 レイがシンジがカードを届けに来る時だけを楽しみに退院してきたのだなどとは、さすがの赤木リツコ博士の知識と頭脳をもってしても想像がつかなかった。

 ふいと顔をそらせてそのまま歩み去ろうとしたレイを慌てて追いかけ、その手に無理矢理にカードを押しつけたのであった。



「シンジくんにしろレイにしろ、ね。大人の思うとおりになんていくわけがないのよ。それが当り前」

 えらくつまらないような、それでいてなにか意味があるようなないような妙ちくりんな話を聞かされ、ちょいと思考がとまりかけたミサトに。

 リツコは鷹揚な笑みを浮かべた。

「あまり悩みすぎないほうがいいわよ。……じゃ、技術部から作戦部に正式に要望するわ。初号機パイロットの実験のため、今回の懲罰措置の停止を要求します」

「え、それって……」

「わたしがあの子と話すわ。もう少しあなたがやりやすくなるように何とか言ってみるわよ。気に入らないでしょうけど、もうそろそろ碇司令もお戻りになるし、このままってわけにはいかないでしょう?」

 どちらにせよ、ミサトにはもう選択の余地はなかった。技術部から正式な要請であれば、作戦部による懲戒処分は継続のまま独房から出すという形は整う。

 姑息な先送りに過ぎなくとも、ミサトとしては。

「……うん。今回は……恩にきるわ」

 ふふふ、っと笑ったリツコ博士は。

 なんだか先が見えなくなってきたわね、と内心の焦りをその笑みに隠していた。

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