第6話「レイ、心のむこうに2」
とぼとぼ。
美少女綾波レイの歩みは、まさにそんな擬態語がぴったりの寂しげで弱々しいものであった。
白い包帯が痛々しいまでに分厚く重ねて身体中に巻かれていて、片腕は三角巾で吊され、片目は眼帯に隠されているのは、まだ怪我が治りきらないからだが、それはレイのしょんぼりしている理由ではない。
こうやってひとり学校へ向かえる程度には回復しているのだ。遠からずギブスも取れよう。悪魔の遺伝子操作もへっちゃらであるネルフの医療水準は甚だしく高い。
問題は。
今、その手に握られている一片のカードにあった。
「話が違うわ……」
と、ぽつり零れる不満の溜息。
どこかでなにかが狂っているような、そんな気がしてならない綾波レイだった。
「あ、おはよう、綾波さん。もう大丈夫なの?」
教室に入るとすぐに、心配そうな声をかけられた。
誰、と聞くまでもない、レイに話しかけるような物好きなど洞木ヒカリ委員長の他にいるはずもない。
包帯でぐるぐる巻きの姿に「大丈夫なの?」もくそもないとは思うが、レイは突っ込んだりはしない。
こくん、と微かに首をふって、ただそれだけで通り過ぎる。
そばかすがチャームポイントのヒカリ委員長は、そんなレイの冷たい反応にも嫌悪したりはしなかった。
クラスに馴染めない子をいじめたりせず、なんとか溶け込めるようにはからってやるのが委員長のつとめなのよ、と。
そんな風に考えられるからこそ、彼女が委員長なのだろうが。
逆に言えば、ほとんどの子どもはヒカリ委員長の思いとは極端にいた。
「あ、綾波じゃん。なに、あの怪我?」
とても好意的とは言えない視線でレイを見送り、ふんと鼻を鳴らしたのは名もない2年A組の女生徒のひとり。
「先生が言ってたじゃない。綾波さんは交通事故で入院してるって」
ヒカリの返事に、そうだっけ? と首を傾げる。
「サボってんのかと思ってたわ。あの子ってなんか裏でやってそうだしぃ」
ま、どうでもいいよね、あんな子なんてえ。
というのが、2年A組女子大半の綾波レイに対する評価だった。
ちなみに。
綾波レイはアルビノでもなければ、髪の色が抜けるように蒼いわけでもなければ、瞳が不気味に紅く光っているわけでもない。
お蝶夫人がテニスコートで軽やかにプラチナブロンドの巻き毛を風になびかしているからといって、彼女がハーフでもなければ茶髪(ちゃぱつ)にパーマの不良学生でもないのと同様に。あくまでそれは「雰囲気」の問題だ。
きめ細かく果てなく白い肌、手入れをしている風でもないのにとてつもなく艶やかな細い髪、無感情に深く冷たく輝くその瞳が、まるで「蒼髪紅眼」のように「見える」というだけである。
それ故に、綾波レイがクラスから疎んじられているのは容姿の問題ではなく、その態度のせいだ。
誰とも交わろうとせずいつもひとり本を広げているような少女に、儚さと憧れを感じるには14歳という年齢は低すぎた。もう2、3年も経って高校にでも通うようになれば絶大な人気を誇るに違いないその容姿、態度も、ここ市立第壱中学校にあっては「ただのヘンクツ女」という評価が全てだった。
それは男子の間でも同じ事で。
「性格、悪いんとちゃうか」
と一言で片づけられてしまっていた。美人は美人であるから、女子からの評価のように「嫌われる」というほどではないにしろ、人気があるとはとても言えなかった。
「お、トウジ。おはよう!」
「なんで休んでたんだ?」
「おはよう!」
と、レイが現われたときとは違って教室のあちこちからかけられる挨拶。
ガラリとドアを開いて入ってきたジャージの少年、鈴原トウジは人気者だったが。
「ああ。おはようさん……」
こちらも甚だしく元気がなかった。
「鈴原、どうしたの? 風邪、ひいてた?」
委員長の責務として。尋ねているわけでもあるまい、レイに向けた心配の表情とはちょいとばかり質の違う顔でヒカリ委員長が問いかけた。
鈴原トウジは、先の非常事態宣言発令から学校を休んでいた。相田ケンスケとともに。
「いや、風邪とちゃうけど。ちょとな」
ぼけっとしたそぶりで席についてうなだれる。
「はああ」
とその横で、トウジと一緒に教室に入ってきたケンスケも溜息をついていた。
このふたり、休んでいたのではなく、休まされていた、が正解だ。非常事態宣言下にあって無断でシェルタを抜け出したことをとがめられた停学処分だったのだが。
義務教育の手前、クラスには公表されていない。
ふたりが疲れ切っているのは。
あの時、自らの死を間近に見たショックと。何時間にもわたって繰り返された叱責によるショックと。停学中にどっさりと、これまた死にそうなほどの量で与えられた宿題をこなすための寝不足と、であった。
ぐちりたくとも、トウジの頭では「オトコはこんなことしゃべるもんやない」という思い、ケンスケの頭ではすっぱく繰り返された「守秘義務」という言葉が重くのしかかって、内緒の話は内緒だった。
「俺たちはちょっと大人になったんだよ」
というのがケンスケの説明で。
「なんだよ、それ?」
なにやら妄想逞しくした委員長が頬を赤らめて顔をそらせた以外、周りのクラスメイトたちは、わけわからんと首をひねるばかりだった。
顔をそらせたせいで、ヒカリ委員長は、トウジたちを睨み付ける紅い視線に気付いた。
「綾波さん?」
いつもはぼんやりと窓から外を眺めているか、手に取った文庫本に眼を落としているだけの少女が、なぜかトウジたちを囲む輪に冷たい瞳を向けている。
なにやらずいぶんと憎々しげに。
どうしたのかしら、とヒカリ委員長にはとても憶測すら叶わなかった。
……碇くんに捨てられてしまったジャージとメガネ。そう、あなたたちのせいなの。
そんな綾波レイの胸の内などは。
その頃、碇シンジは。
ネルフ本部の独房で、与えられた反省ノートのページのすみにカリカリと渚カヲルの似顔絵を描いていた。
「カヲルくぅうん……」
美少女綾波レイの歩みは、まさにそんな擬態語がぴったりの寂しげで弱々しいものであった。
白い包帯が痛々しいまでに分厚く重ねて身体中に巻かれていて、片腕は三角巾で吊され、片目は眼帯に隠されているのは、まだ怪我が治りきらないからだが、それはレイのしょんぼりしている理由ではない。
こうやってひとり学校へ向かえる程度には回復しているのだ。遠からずギブスも取れよう。悪魔の遺伝子操作もへっちゃらであるネルフの医療水準は甚だしく高い。
問題は。
今、その手に握られている一片のカードにあった。
「話が違うわ……」
と、ぽつり零れる不満の溜息。
どこかでなにかが狂っているような、そんな気がしてならない綾波レイだった。
「あ、おはよう、綾波さん。もう大丈夫なの?」
教室に入るとすぐに、心配そうな声をかけられた。
誰、と聞くまでもない、レイに話しかけるような物好きなど洞木ヒカリ委員長の他にいるはずもない。
包帯でぐるぐる巻きの姿に「大丈夫なの?」もくそもないとは思うが、レイは突っ込んだりはしない。
こくん、と微かに首をふって、ただそれだけで通り過ぎる。
そばかすがチャームポイントのヒカリ委員長は、そんなレイの冷たい反応にも嫌悪したりはしなかった。
クラスに馴染めない子をいじめたりせず、なんとか溶け込めるようにはからってやるのが委員長のつとめなのよ、と。
そんな風に考えられるからこそ、彼女が委員長なのだろうが。
逆に言えば、ほとんどの子どもはヒカリ委員長の思いとは極端にいた。
「あ、綾波じゃん。なに、あの怪我?」
とても好意的とは言えない視線でレイを見送り、ふんと鼻を鳴らしたのは名もない2年A組の女生徒のひとり。
「先生が言ってたじゃない。綾波さんは交通事故で入院してるって」
ヒカリの返事に、そうだっけ? と首を傾げる。
「サボってんのかと思ってたわ。あの子ってなんか裏でやってそうだしぃ」
ま、どうでもいいよね、あんな子なんてえ。
というのが、2年A組女子大半の綾波レイに対する評価だった。
ちなみに。
綾波レイはアルビノでもなければ、髪の色が抜けるように蒼いわけでもなければ、瞳が不気味に紅く光っているわけでもない。
お蝶夫人がテニスコートで軽やかにプラチナブロンドの巻き毛を風になびかしているからといって、彼女がハーフでもなければ茶髪(ちゃぱつ)にパーマの不良学生でもないのと同様に。あくまでそれは「雰囲気」の問題だ。
きめ細かく果てなく白い肌、手入れをしている風でもないのにとてつもなく艶やかな細い髪、無感情に深く冷たく輝くその瞳が、まるで「蒼髪紅眼」のように「見える」というだけである。
それ故に、綾波レイがクラスから疎んじられているのは容姿の問題ではなく、その態度のせいだ。
誰とも交わろうとせずいつもひとり本を広げているような少女に、儚さと憧れを感じるには14歳という年齢は低すぎた。もう2、3年も経って高校にでも通うようになれば絶大な人気を誇るに違いないその容姿、態度も、ここ市立第壱中学校にあっては「ただのヘンクツ女」という評価が全てだった。
それは男子の間でも同じ事で。
「性格、悪いんとちゃうか」
と一言で片づけられてしまっていた。美人は美人であるから、女子からの評価のように「嫌われる」というほどではないにしろ、人気があるとはとても言えなかった。
「お、トウジ。おはよう!」
「なんで休んでたんだ?」
「おはよう!」
と、レイが現われたときとは違って教室のあちこちからかけられる挨拶。
ガラリとドアを開いて入ってきたジャージの少年、鈴原トウジは人気者だったが。
「ああ。おはようさん……」
こちらも甚だしく元気がなかった。
「鈴原、どうしたの? 風邪、ひいてた?」
委員長の責務として。尋ねているわけでもあるまい、レイに向けた心配の表情とはちょいとばかり質の違う顔でヒカリ委員長が問いかけた。
鈴原トウジは、先の非常事態宣言発令から学校を休んでいた。相田ケンスケとともに。
「いや、風邪とちゃうけど。ちょとな」
ぼけっとしたそぶりで席についてうなだれる。
「はああ」
とその横で、トウジと一緒に教室に入ってきたケンスケも溜息をついていた。
このふたり、休んでいたのではなく、休まされていた、が正解だ。非常事態宣言下にあって無断でシェルタを抜け出したことをとがめられた停学処分だったのだが。
義務教育の手前、クラスには公表されていない。
ふたりが疲れ切っているのは。
あの時、自らの死を間近に見たショックと。何時間にもわたって繰り返された叱責によるショックと。停学中にどっさりと、これまた死にそうなほどの量で与えられた宿題をこなすための寝不足と、であった。
ぐちりたくとも、トウジの頭では「オトコはこんなことしゃべるもんやない」という思い、ケンスケの頭ではすっぱく繰り返された「守秘義務」という言葉が重くのしかかって、内緒の話は内緒だった。
「俺たちはちょっと大人になったんだよ」
というのがケンスケの説明で。
「なんだよ、それ?」
なにやら妄想逞しくした委員長が頬を赤らめて顔をそらせた以外、周りのクラスメイトたちは、わけわからんと首をひねるばかりだった。
顔をそらせたせいで、ヒカリ委員長は、トウジたちを睨み付ける紅い視線に気付いた。
「綾波さん?」
いつもはぼんやりと窓から外を眺めているか、手に取った文庫本に眼を落としているだけの少女が、なぜかトウジたちを囲む輪に冷たい瞳を向けている。
なにやらずいぶんと憎々しげに。
どうしたのかしら、とヒカリ委員長にはとても憶測すら叶わなかった。
……碇くんに捨てられてしまったジャージとメガネ。そう、あなたたちのせいなの。
そんな綾波レイの胸の内などは。
その頃、碇シンジは。
ネルフ本部の独房で、与えられた反省ノートのページのすみにカリカリと渚カヲルの似顔絵を描いていた。
「カヲルくぅうん……」