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第3話「鳴らない、電話」

「うーん、見事なもんねえ」

 第三新東京市を外れること十数キロ、N2地雷がえぐったクレータの底で夕陽に染まる残骸と化した使徒を見下ろして葛城ミサト。

 一瞬にして使徒を『殲滅』に至らしめた初号機の攻撃手腕を誉めたのか、死してなお偉容を誇る使徒なる存在に畏敬を感じたのか判然としないが、戦闘責任者とはとても思えないお気軽な一言を赤木リツコに投げかけた。

「見事じゃないわよ」

 初号機の損害がまるでなかったのでケージに張り付く必要もなく、今後のために使徒の亡骸を回収できるものならやっておきたいと調査にやってきたリツコ。

 殲滅時の爆発で組織が炭化してしまってどう見ても参考になりそうにないし、それでもでかいことはでかいので予算やら機密やらの関係上ネルフ本部まで移送することもままならない使徒に、不満だけが募る。

「これじゃあどうしようもないわ。封地ね、ここも」

 溜息とともに吐き出し、ミサトを睨んだ。

「で? あなたはここで何をしてるわけ?」

「戦闘現場の視察に決まってっでしょ」

 さも当然と答えたミサトにリツコは冷たい目を向ける。

「視察って、作戦課のあなたが見るべきものなんてないわよ」

「あに言ってんのよ。敵を知ることは……」

「逃げてきたわね?」

「う」

「あなたが今しなきゃならないのは、パイロットのケアでしょ?」

「だってさ……」

「気に入らないの? シンジくんが」

「当ったり前でしょ。ほんといけ好かないガキ。碇司令にそっくりね」

 親友以外に誰も近くにはいないことで安心したのか、葛城ミサト。腹にたまっていた文句をぶつくさと垂れ流し始めた。

「なんだか偉そうだし、あたしの命令を聞かないで勝手に飛び出しちゃうし、そりゃ初めてのシンクロであんだけ自在にエヴァを操ったんだから天才かも知んないけど、パイロットなんだから指揮官の言う通りに動いてもらわなきゃ困んのよ。なんでもかんでも使徒をやっつけりゃそれでOKってもんじゃないんだからさ。それにガキのくせに色気づきやがって、まったく」

「レイのこと?」

「っていうかさ。戦闘が終わってエヴァから降りてきたときも、なあんかこうボケっとした感じで、カヲルとかなんとかって女の名前、呟いてたわよ。前に住んでたとこでいた彼女か何かだろうけど。それで出撃前のあのレイとの濃厚キスでしょ。やってらんないわよ」

「えらく嫌ったものね。でもパイロットはあなたの指揮下に入るのよ。彼の住むところ、手配したの?」

「ん? 碇司令と同居するんじゃないの?」

「それは……ないわね。たぶん」

「ふーん。ま、親子のことに口出しするつもりはないし。ま、どうせ総務が適当に割り振るでしょ。職員居住区はがら空きなんだし」

 どうでもいいわよ、と冷たいミサト。総司令の息子だからと言ってちやほやするつもりはないらしい。

 もしもシンジがどこか儚げで気弱そうで寂しげな少年だったら、たとえ規則がどうあろうとねじ曲げてでも自分が引き取っちゃうくらいのことはする熱い心も秘めている彼女だが、小憎たらしいだけのガキには興味はない。

 それに。

 これはさすがにリツコにも言わないが、あのシンジとかいう少年、エヴァから降りてきたときにミサトの唇を見つめて、なんだか「キスの続きがしたいなあ」ってな感じのいやらしい目つきをしていたような気もする。もちろん気のせいだとは思うけど。

 ともかく、あー、やだやだ、ってなもんだった。

 アスカといいレイといい、エヴァパイロットの適正には「憎たらしい」パラメータが振り切っていることが必要じゃないのかと思ってしまうミサトだ。

「そう」

 とリツコは珍しく嫌悪感むき出しの友人に小首を傾げて。

「じゃあ、わたしが引き取ってみようかしら」

「へ?」

「だから、わたしがシンジくんを引き取って一緒に暮らそうかしら、って言ったの」

「あ、あんた」

 金髪冷血博士の思わぬ一言にミサトはのけぞった。

「男を寄せ付けないと思ってたら……あんた、ショタだったの!?」

「ち、違うわよ。人聞きの悪いこと、言わないでちょうだい」

 親子どんぶりするつもりはないのよ。されてるけど……。

 赤木リツコ博士には彼女なりの思惑というものがあるのであった。

「ともかくここにはもう用はないわ。本部へ戻るわよ」



「ああ、碇」

 司令執務室に戻ったゲンドウに冬月が将棋盤から顔を上げた。

「レイの様子はどうだったね?」

「鎮静剤を打たれて眠っている」

「ふむ。しかしあのレイの行動はなんだったのかね?」

 ゲンドウは巨大な執務机にどっしりと身体をうずめ、たっぷりと時間をあけてから答えた。

「わからん。だが、あれの遺伝子はユイのものでもある」

「親子の血、かね。そのわりに父親のほうはえらく冷たいようだが?」

「くだらん」

 いやなことをいうじいさんだ、とばかりに碇ゲンドウは鼻を鳴らした。

「それと。赤木くんから連絡があったぞ。シンジくんを引き取りたいそうだ」

「シンジを?」

「突然乗せたにしては予想以上のシンクロ率をはじき出したパイロットだ。間近に置いて観察するつもりかな?」

 と冬月はおかしそうに忍び笑いをした。

「それとも、母親に成り代わるつもりかもしれんなあ、碇」

 ゲンドウは答えない。いつもながらの傲慢で憮然とした表情のままだが。

 頭の中は目まぐるしく回転しているようだ。サングラスの輝きから冬月コウゾウにはそれが読みとれる。長い付き合いの成果である。

「許可は出しておいたよ」

 さりげなくとどめを刺した。



 赤木博士と碇シンジは、てくてく歩いて日の暮れた市街を赤木邸へと向かっていた。

 ミサトの住むマンションと違って、リツコのマンションは市街中心部にある。ドライブの趣味はない、というより運転免許を持っていないので、ジオフロント直通のモノレール駅から徒歩数分でないと不便すぎて通勤できない。

「すぐそこよ」

 とリツコは笑った。

 リツコから一緒に住まないか、と言われた時にはシンジも驚いた。

 冷たくて怖い人、という印象は持っていたし、綾波レイのダミーシステムを見せられた時の狂ったような態度もまだ生々しく記憶に残っている。

 よろこんで同居したい相手ではなかったが。

 まあ、よくわからないけど、父さんとなにやらあれみたいだし、それなら僕にとっては母さんみたいなもんだし、じゃあミサトさんちに同居するよりは自然なのかな、と。

 使徒殲滅までは気が急いていたから、ミサトさんにポンポンズケズケものを言ったような気がする。エヴァを降りてから、ちょっと甘えた目で見つめてみたけど、いやそうに顔を背けられたし……。

 それに、リツコさんと親しくなったら、カヲルくんに早く逢うための方法を相談できるようになるかも知れない。

 と、そんなわけで承諾したシンジだった。

 使徒殲滅後すぐだというのにネルフの残務はたいして多くはなかったらしく、赤木リツコも早々と仕事を切り上げて、シンジを連れて本部を離れた。

 地上へのモノレールの中で、リツコはにこにことシンジに話しかけ、エヴァやら使徒とは無関係の他愛のない世間話に興じていた。

 リツコさんって思っていたよりやさしいのかも知れない、などとあっさり印象を変えてしまった尻の軽いシンジだ。

「あの、赤木さん?」

「リツコでいいわよ。なにかしら?」

「コンビニで夕食とか、買わないんですか?」

「なにそれ?」

 赤木博士は吹き出した。

「シンジくんはレトルト食品が好きなの? 大きくなれないわよ、それじゃあ」

「あ、そんなことはないんですけど。なんとなく」

「それにさっき非常事態宣言が解除されたばかりよ。いくらコンビニでもさすがに開いてないわよ」

「あ、そうですか。そうですよね」

 えへへ、とシンジは笑った。

 すぐ通りがかったコンビニエンスストアが明々とネオンを灯し、店員が忙しそうに働いていたが、二人は見なかったことにすることにした。

 商魂を舐めてはいけないわね、と赤木リツコ博士は少し反省した。働き者はネルフ職員だけではない。

「コ、コンビニなんかで買わなくても、ちゃんとした料理を作ってあげるわよ。食材はたっぷり買い置きしてるし」

「う、うわあ。嬉しいなあ」



「ただいま」

 マンションの部屋のカードキーを差し入れるなり、リツコはそう言った。

 シンジはお邪魔します、とは言わなかったが。

 ただいま、と言うのもやはり厚顔のようで躊躇った。

「ほら、挨拶してあげて」

「え? 誰に……あ、猫だ」

 みゃあ、と。なめらかなシルクのような焦げ茶の毛並みを誇らしげに、金の瞳を見開いて一匹の猫が、ちょこんと玄関で主人の帰りを待ちわびていた。

「レンタロウ、っていうのよ」

 そう紹介しながら、赤木リツコはじゃれついてくる猫を足先でくすぐるようにつついた。レンタロウは目を細めてその足先に身体をすりつけている。

 ストッキングを履いているのが心配だが、賢い猫なのだろう、爪を立てる様子はまるでない。

「た、ただいま、レンタロウくん」

 シンジは恐る恐る手を出した。ペンギンの世話はしたことがあるが、猫の世話はしたことがないちょっと変わった少年だ。

 レンタロウは人見知りをしない。あるいはシンジを気に入ったのか。

 震えながら出された指先を舌を伸ばしてペロリと舐め上げた。

「く、くすぐったいですね」

「レンタロウも気に入ったみたいね」

 でも、と。

 赤木リツコは猫を抱き上げると、その特徴的な黒く端麗な眉をそっとひそめ、寂しそうな声音を漏らした。

「使徒がやってきたしね。危険だからおばあちゃんのところに疎開させるわ。もうすぐお別れよ」

「そうなんですか……」

 はて、ぼくはもしかして猫の代わりなんだろうか、と、それはそれでちょっとばかりひっかかる碇シンジだった。

 レンタロウはあどけない目でシンジを見つめて、また、みゃあと鳴いた。

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