最終話「まごころを君に」
碇ゲンドウは病床で、一瞬目を見開いたが、「ふっ。問題ない」と呟いた。
冬月コウゾウは司令塔で、ただ「ううむ」と首をふった。
葛城ミサトはMAGIの内部で、「大人のキス……あれ? なにやってたんだっけ」と頭を抱えた。
日向マコトはその横で、「葛城さん葛城さん」と惚けて抱きつこうとして、ミサトの鉄拳を喰らった。
青葉シゲルは発令所で、「レイちゃんがいっぱい……うわ。やっぱりいっぱいだ」とモニタに表示される美少女戦隊に頬を引きつらせた。
伊吹マヤはその横で、「先輩せんぱい」とうわごとのように呟いていた。
加持リョウジはスイカ畑で、「うわ、俺のスイカが」とやはりショックを受けていた。
ネルフの職員たちはそこかしこで、自分がまだ生きていること不思議に思っていた。
初号機はケージの中で、ぐわん、とその瞳を輝かせた。
渚カヲルは、静かに「シンジくん……」と呟いて、使徒の力を失ったことを悟った。
「まさかリツコがこんなこと考えてたとはねえ」
感心して良いのか呆れるべきなのか決めかねたのは惣流アスカ。
いつまでもダボダボの汗くさい黒服を着ているわけにもいかないが、かといって着替えはないので仕方なく赤のプラグスーツに身を包んで、赤木リツコの研究室に居る。
ゲンドウの病室から戻ってきた赤木リツコに、煎れたてのコーヒーをごちそうになりながら、ふううんと首をふった。
「誉めてくれているのかしら?」
全てが計画通りに進んで上機嫌の赤木リツコは、微笑みながら煙草に火をつけた。
「誉めてるっていうか……、ちょっとびっくりしただけ」
「でも私にはこうするしかなかったのよ。それに元はといえば、シンジくんの望みがあったのだしね」
「まあ、あたしだってまたエヴァシリーズと戦いたくなんてなかったけどさ」
「もうその心配はないわよ。ここまでくればエヴァシリーズに意味はないから」
「んー、いまいちわかんないけど。これでサードインパクトって終わりなの?」
「サードインパクトというほどの規模でもないわ。渚カヲルくんを依代にレイたちの力でちょっと時空に穴を開けただけ。前にシンジくんが引き起こしたサードインパクトのコピーに過ぎないから」
影響範囲は、ジオフロント――黒い月内に限られるのだとリツコは説明した。
「ふうん。でもまあ、ネルフのみんなは記憶を取り戻したのよね? って言い方も変なのかな?」
「そうね。前のサードインパクトの時の人格と記憶が、現在の人格と記憶に融合した、というのが正確ね」
赤木リツコ博士の補完計画は、要するに、以前のサードインパクトでLCLに溶け出した人々の記憶を、今の時点に甦らせることだった。
この世界は碇シンジの「もう一度カヲルくんに逢いたい」という願いに導かれて再構築されたものだ。
再構築後の世界は、シンジ、レイ、アスカ、そしてリツコがサードインパクト前の記憶を保持していたことによって、ずいぶんと流れは変わってしまっている。
変わってしまっているが、その他の人々は、彼らとは異なり記憶の継承がないために『変わっている』ということは意識できない。これが唯一の流れである。
最初の流れを知らないが故に、そこには反省はない。
それならば、今は失われてしまっている彼らの記憶を甦らせれば、シンジやリツコによって導かれたこの現在の時の流れが『よりベターな選択』であることを理解してもらえるだろう、というのがリツコの補完計画の骨子だった。
アダムは喪われ、地下のリリスはロンギヌスの槍による補完が行なわれていないためにゲンドウやゼーレの計画を実行するに充分な力を持たないが、ジオフロント内に限って擬似的なインパクトを起こすだけなら、アダムの代替として渚カヲル、リリスの代替として綾波レイを使うことで、リツコの望む程度の効果は可能だったのである。
マジ? と疑いたくなるような話なのだが。
うまくいったところをみると、それでよかったのだろう。赤木リツコは満足そうに、自分もコーヒーを飲んだ。
「でもさ。碇司令はそれで良かったの? 前の記憶が戻ったんなら、またもう一度、補完計画をやり直すとかって……」
「大丈夫よ」
とリツコはアスカの疑問を打ち消した。
「この時間での記憶が失われたわけではないもの。いわば二重になっているの。前回の補完計画が結局失敗だったことは分かっているし、今の時間がまたそれとも違う流れになってしまっていることも分かっている」
あの人はそんな馬鹿じゃないのよ、とほとんどのろけのように赤木リツコは笑うのだった。
「記憶を取り戻した碇司令は、すまなかなったな、とおっしゃってたわ」
「リツコに?」
「さあ。シンジくんへの気持ちなのかもね。セカンドインパクト以来の使徒による人類滅亡の危機はともかく脱したのだし、あとは緩慢な滅びへの道をどう切り抜けるか、だけだけど」
「シンジを使ったインパクトで無理矢理逃げ切る選択肢はなくなった、ってわけね?」
「そういうこと。人は神さまになんてなれはしないのよ」
「あーあ」
とアスカは嘆息した。
「結局ちまちまと、またその日その日を暮らして行くだけかあ。シンジらしい世界だわ」
「不満なのかしら?」
「不満ってわけじゃないけど。じゃあ、あたしって何のためにここにいるのかなあってね」
「シンジくんを追いかけてきたんじゃなかったの?」
「ち、ちがうわよっ」
惣流アスカは頬を染めた。
「あたしはねえ、ただ……」
「ただ?」
「うーん」
言葉に詰まったアスカを眺めて、リツコはくすくすと笑った。
「シンジくんは渚カヲルくんに逢いたくてこの時空を補完したのに。でも、第15使徒戦で命をかけて精神波長からあなたを守ってくれたのは誰だったのかしら? シンジくんがいなければあなたは今頃死んでいたし、シンジくんだって運が悪ければカヲルくんに逢う前に死んでいるところだったのに」
「わ、わかってるわよ。そういや」
惣流アスカは誤魔化すように話題を変えた。
「そのカヲルってやつはどうなったのよ? あいつは使徒なんでしょ? 殲滅しなくて良いの?」
「依代に使ったもの。私の補完計画は彼の使徒としての力を使ったものだから。彼には悪いけれど、もはや抜け殻よ、使徒としては、ね」
「抜け殻?」
「つまり、ただの人間だってこと」
「そうなの? なんか御都合主義のような」
「あら。だってこれも重要な計画のひとつだもの。シンジくんとの約束。カヲルくんを殲滅しなくても済むもう一度の出会いを、とね」
「ああ。あんたはシンジとつるんでたのよね」
「そういうわけでもないわよ。でも、あの人と結婚したなら、シンジくんは私の可愛い息子になるのだから。大事にしてあげなくてはね」
「はあん、そういうこと。って、じゃあカヲルってこのままここで暮らしていくわけ!?」
「その通りだよ」
と答えは研究室の入り口から返された。
かなりぼろぼろになってしまった制服姿の渚カヲルが、それでも歯をきらりと白く輝かせて、キザな笑いを浮かべながら髪をかきあげていた。
「さっきはひどいことをしてくれたね、惣流アスカラングレーくん?」
「な、なによっ!」
「いや、怨んでいるわけじゃあないよ」
とカヲルは睨み返したアスカを片手で押しとどめた。
「僕も記憶が甦ったからね。事情はわかったつもりだよ」
「あら、そこまでは予想していなかったけれど」
興味を向けてきた赤木リツコにも、カヲルは穏やかな笑みを見せる。
「あるいは綾波レイの記憶が融合したのかも知れませんが。どちらにしても、全てが納得できましたよ。使徒でなくヒトになったことも含めて、あなたには感謝します」
「そう。それは良かったわ」
「サードチルドレン、碇シンジくん。彼の奇妙な行動の謎も解けたよ。そうか、僕は彼に会うために生まれてきたのだったね。シンジくんには悪いことをした。ああ、シンジくぅん、次にあったときにはもう逃げたりしないよ。ぼくの胸の中で甘美な一時的接触を……」
「な、なにいってんのよっ!」
激怒した惣流アスカが踵落としを決めようとした瞬間。
それに一歩先んじて、ゴンゴンと渚カヲルの後頭部が鳴った。
にやけた表情のまま崩れ落ちたカヲルの背後から現われたのは、綾波レイと葛城ミサト。ふたりの握り拳は容赦なかった。
「あなたはもう用済みだといったの……」
綾波レイは冷たくつぶやき。
「あたしのシンちゃんを変な道に誘い込まないでね」
葛城ミサトは大人げなかった。
「なにを無茶しているの。カヲルくんはもう使徒じゃないのよ。死んでしまうわ」
呆れた口振りのリツコを抑えるようにして、惣流アスカがかみついた。
「それより、なによ、ミサト。あたしのシンちゃんって、どういう意味よ!?」
「あらん、アスカ、だって」
えへらえへらと葛城ミサト。
「レイに聞いたけど、なにはともあれ、シンちゃんはあのエヴァシリーズとの戦いを切り抜けてきてくれたわけだしぃ。ってなると、大人のキスの続きをねえ」
「ななななな、なに言ってんのよ、あんたはぁ! 加持さんはどうすんのよ、加持さんは。今度はちゃんと生きてんのよ」
「加持ぃ? いいわよ、あんなやつどうでも。あいつはスイカだけが命なのよ」
なにやら悟ってしまったらしい葛城ミサト。
「それより、今はシンちゃんのほうが大事だもん」
もしかすると唐突に融合したふたつの記憶のために一時的にどこか失調をきたしてしまっているだけかも知れなかったが、とろりんと惚けたその瞳の色を、惣流アスカと綾波レイが許しておけるわけもなく。
「この色ぼけ年増がぁ。シンジはあたしのもんなのよ」
「ばあさんは、美少女戦隊アヤナミムーンが成敗してくれるの」
「誰が年増よ、ばあさんよ。戦隊って、レイ、あんた一人じゃない」
「うっ。赤木博士。インパクトが終わったら仲間が消えてしまいました。もどせませんか?」
「あなたも人間になったということだから。もう無理よ、レイ」
「えーい、わけわかんないこと言ってないで。ファースト、ミサト、あんたらまとめて殲滅してくれるわ」
「アスカはシンちゃんを嫌ってたんじゃなかったの?」
「うっさいうっさい、好きになっちゃったんだから仕方ないでしょ!」
「あら、開き直ったのね」
「あなたもやはり敵なのね。美少女戦隊の再結成を急がなくてはならないわ」
どたばたといがみ合う三人の足下で、むげに踏みつけられてぐえっぐえっと断末魔の悲鳴をあげる渚カヲルにやや同情を向けながら。
赤木リツコは自分も参戦すべきかどうかを悩んでいた。
「シンジくんは私の息子なのだし。こんな連中に任すのは不安だわ。でもまあ……これでめでたしめでたし、ってところかしら?」
ふっ、とその思い人にも似た笑いを浮かべた赤木リツコ博士であった。
だが。
納得できていない人物が、ここに一人いた。
碇シンジである。
「カヲルくん。ぼくの気持ちを裏切ったんだ……」
目がイッてしまっていた。
苦心惨憺してようやく再び巡り会えた渚カヲルに避けられてしまった衝撃は、あまりにも大きすぎたらしい。
「こうなったら、もう一度……」
『先輩!』
発令所からの緊迫した声が研究室の赤木リツコを呼びだした。
『シンジくんが……勝手に初号機を起動。隔壁を強行突破してセントラルドグマを下降中ですっ』
「な、なんですって?」
「なんとしても初号機のターミナルドグマ侵入を阻止するんだ!」
蒼白になって冬月コウゾウが叫んでいる発令所に、リツコ、ミサト、そしてアスカ、レイたちが飛び込んできた。
「状況は!?」
「初号機はすでに15層を突破。ターミナルドグマ到達は時間の問題です」
復帰している日向マコトが、ミサトの質問に答えた。
「どういうつもりよ?」
すさまじく嫌な予感がした。
「初号機への通信、開いて」
リツコの指示に従って、伊吹マヤがコンソールを操作する。
「シンジくん。聞こえる? リツコよ。どうしたのいったい?」
だが、通信機はぼそぼそと要領を得ないシンジの呟きを拾っただけだった。
『裏切ったんだ……やりなおすしかないんだ……もう一度サードインパクトを……』
「これって……」
呆然としたアスカが、リツコの顔を見る。綾波レイはきつく唇をかみしめた。
「まさか。シンジくん、サードインパクトをやり直すつもりなの? なぜ?」
「そういやさっき、カヲルのやつがおかしなこと言ってたわね。シンジから逃げたとかどうとか」
アスカの指摘にひきっと顔を青ざめさせた赤木リツコ。己の過ちを悟った。
「そう、シンジくんはカヲルくんが記憶をそのままにここにやってくると思っていたのね。わたしの説明が足りなかったわ」
「って、あんた、どういうことよ?」
ミサトの問いかけに、青ざめたまま解説する。
「つまり。シンジくんは期待していたカヲルくんに嫌われたと思ったのよ。それで、やけになって……」
「サードインパクトを自分の手で引き起こすつもりってわけ? そんなの可能なの?」
「いえ、出来ないはずよ。リリスは残っているけれど、初号機との接触くらいでは……って、マヤ。初号機の電力はどうなってるの?」
「アンビリカルケーブルは接続されていません。内部電源も充電されていないはずなんですが」
「じゃあ、なんで動いてんのよ。まさか?」
「暴走? 無理よ、だって……」
とそこまで言いかけて、さらにリツコは顔を引きつらせた。
「そうだったわ。黒き月内部のインパクトのせいで……初号機の魂もあのサードインパクトから戻ってきてしまったのね」
「え、え?」
「この次元では目覚めていなかったはずの彼女……ユイ博士が目覚めたんだわ」
「ってことは、なんだかよくわかんないけど、つまり」
ミサトが持ち前の結論一直線、経過はないけど正解を導き出すぞ思考を披露した。
「初号機とリリスの接触でサードインパクトが起こるってこと?」
「い、いえ、まだ大丈夫のはずよ、だってロンギヌスの槍は……」
「地上から高速接近中の物体があります!」
「うそっ?」
リツコはそんなはずないのよ、と唸ったが、ディラックの海に飲み込まれてしまったはずのロンギヌスの槍オリジナルが復活していることは事実であった。
前の時も勝手に月から舞い戻ってきたわがまま勝手な謎の槍であるから、そう言うこともあるのかも知れなかった。
「ま、まずいわ」
「どうすんのよ、リツコ。そうだ、渚くんに説得してもらったら。彼って今は記憶は戻ってるんでしょ。シンジくんを避けたりはしないんでしょ?」
「そ、そうね。さすがはミサトだわ。カヲルくんは!?」
「あ……」
ばつが悪そうなアスカ、レイ、そしてついでにミサト。
「用済みだから、殲滅してしまったの」
と綾波レイがぽつりと言った。
死んではいないだろうが、肋骨のひとつふたつ折れているかも知れない。殴られ踏みつけられて意識を失った渚カヲルは、赤木リツコの研究室の床で今も悶絶し、生死のふちを漂っているだろう。とても話せる状態でないことだけは確かだった。
「最低、ね……」
アスカの言葉が全員の心を代弁した。
「な、なんとか止めるのよ! LCL圧縮濃度を限界まで上げて!」
「だめですっ。初号機、こちらからのコントロールを受け付けません」
「ロンギヌスの槍、初号機、ともにターミナルドグマに到達!」
「日向君! 本部の自爆装置を」
「いやですっ。いまさらもう死にたくありません!」
「ちょっと、なによ、それ」
「アスカ、レイ! エヴァで追いかけて」
「起動準備、間に合いませんよ!」
「初号機を中心に強力なATフィールド発生」
「初号機、リリスに接触しました」
「だめよ、シンジくん。そんな行き当たりばったりのインパクトが成功するはずないのよっ!」
「リリスよりのアンチATフィールド、臨界点を突破!」
「もう間に合いません!」
「うわあああ」
「碇くん!」
「バカシンジ!」
そしてふたたびの、いや、ごたびのインパクトが発生した。
リツコによるコントロールされたインパクトではなくそれは、先のサードインパクトと同じ規模で地球すべてを補完した。
ばさばさばさ。
電線から鳥が舞う。
スポーツバッグをさげて学生服に身を包んだ碇シンジは、溜息混じりに受話器を公衆電話に戻した。
「電話も駄目か。しょうがない、シェルターに行こう」
困惑した少年は、突然の地響きと、ビルの谷間から姿を現わした緑色にぬめる巨大な人型の化け物に目を見開いた。
「あれは!?」
こちらを向けて墜落してくる戦闘ヘリ。
「ひっ!」
死を目前にして立ちつくし腕で顔を覆った碇シンジを救ったのは、青いスポーツクーペ。
爆風をふさいだ車から降り立つサングラスをかけた美女が、にこやかに微笑みかけた。
「ごっめーん、遅くなっちゃって。大丈夫だった、シンちゃん?」
「あ、は、はい」
「さ、乗って乗って。はやく本部に行かないとね。ちゃかちゃかちゃかっと使徒なんかやっつけちゃってねん」
「は?」
あまりにも軽く馴れ馴れしいノリの女性に、碇シンジは呆然とした。
「あの……もしかして、葛城さん?」
「なによ、シンちゃん、いまさら他人行儀な」
「他人行儀って……あの、もしかして人違いじゃないですか?」
「へっ?」
高速道路に乗ったというのに急ブレーキで停車する。
「あなた。碇シンジ君よね?」
「え、ええ」
「あたしは知ってるわよね?」
「か、葛城……ミサトさんですよね? あの、手紙で写真を送ってきてくれた……」
「そうだけど……って、もしかして覚えてないの?」
「なにを、ですか? あの、いったい? ぼくは父さんに来いって手紙をもらっただけで。すみません、よくわかんなくて」
「げ」
と葛城ミサトは大粒の冷や汗を流すと、慌てて車載の通信機にかじりついた。
「あ、日向君? シンちゃんが、た、たいへんなのよ、ちょっとリツコ、呼び出して……あ、リツコ? ど、どうしよう。なにがって、シンちゃんよ、シンちゃん。記憶がないみたいなの。そうよ。つまり、一番最初の時のまま。白紙の14歳のただの中学生なのよ」
「碇」
冬月コウゾウが苦虫を噛みつぶしたような表情で。
「なんだ?」
「迎えに行っている葛城君から連絡が入った。どうやらシンジ君はこの時空に戻っていないようだぞ」
「なんだと?」
ぴくりと碇ゲンドウの眉が動く。
「困ったことになったな。これではシンジくんの力はあてにできん。初めての時と同様に、初号機の暴走に期待するか」
「なにをいう、冬月」
碇ゲンドウは椅子から飛び上がるようにして立ち上がった。
「何も知らないシンジにそんな危険なことをやらせられるか。今度はあいつを苦しめないよう、俺が一緒に住んで幸せな親子の家庭を築くのだ。それなのにそんなことをすれば、またシンジに嫌われてしまうではないか」
「お、おい。良いのか、碇。しかし使徒は目前に」
「あんなものはどうでもいい。補完計画のことがなければ、無理に急いで殲滅する必要などないのだ。どうせアダムはまだドイツだし、第三使徒ごときではここでインパクトは起こらん」
「そうはいってもな……。おまえ、変わったな」
「先生。人は成長するものです」
と碇ゲンドウは言い切った。
「それより、そうなると問題は葛城一尉だ。彼女も今は全ての機密を知っている。シンジを急いで必要としていないことを見抜いているはずだ。うぬ、これは一刻を争うぞ、冬月」
「そうなのか?」
ゲンドウのテンションについていけず、たじたじとなる冬月コウゾウである。
「日向二尉! 葛城一尉の現在位置は!?」
「は、はい。ああっ、この方向は。まずいですっ、ラブホテル街に向かっています!」
「ぬおお、やはり。シンジを食い散らすつもりか! 冬月、レイを起こせ!」
「わ、わかった」
「レイ!」
『はい』
「非常事態だ。シンジが葛城一尉に拉致された」
『……わたしの碇くんを……。アヤナミムーンは悪を許さない……』
「アヤナミムーンはともかく、すぐ初号機で発進しろ。シンジを確保するのだ」
『はい』
なにが起こっているのかつかみかねて目を白黒させている国連軍高官たちの前で、ネルフは彼らを無視して慌ただしい動きに入っていった。
「ドイツから通信が入っています!」
青葉シゲルが報告する。
「つなげ」
冬月の声に応じて、無線から流れてきたのは加持リョウジの声。
『加持です。現在、輸送機で弐号機を空輸中です。あと3時間ほどで日本に到着の予定』
「なに? よくドイツ支部の連中が許したな」
『いや、こっちもかなり混乱してますよ。例の研究施設にいた渚カヲルくんが突然に目覚めて、ATフィールドで大暴れです。ゼーレはほぼ壊滅です』
「そ、そうなのか?」
冷や汗を流しながら冬月。
『今度は、シンジくんに辛い思いをさせたくないそうですよ。その混乱の隙に、強行出発しました。お嬢さんがうるさくて、ね』
『惣流アスカですっ。シンジは、シンジは無事ですか?』
「セカンドチルドレンか。碇だ」
『お義父さま!』
「その呼び方はまだ早いが。シンジに貞操の危機が迫っている。急げ」
『な、なんですって! きゃあ、加持さん、もっと速度上げて』
『むちゃいうな、アスカ。暴れたら落ちるぞ』
無線の向こう側ではどたばたという音が響いてきた。
「ねえ、青葉さん」
日向マコトは「葛城さん、シンジくんなんかよりぼくのほうが……」などと呟きながら血眼になってルノーを追跡しているので、伊吹マヤはその肩越しに青葉シゲルに声をかける。
「なんだか、めちゃくちゃになってませんか?」
「そ、そうだな」
青葉シゲルも、さすがに目を回している。
「まあ、赤木博士がいるから、なんとかなるんじゃないのか。あの人ならなにもかも分かっているだろう?」
「そうですね、先輩なら……」
その赤木リツコは、エヴァケージで初号機のパーソナルデータを綾波レイに書き換えながら、はあっと溜息をついていた。
「せっかくうまく行っていたのに、最後の最後で振り出しに戻ってしまったわ。シンジくん、ユイさん、怨むわよ」
今は力無い初号機を見上げる。
「ネルフの全員を過去に戻しておいて、自分は記憶を失っているなんて。無責任なものね、まったく。でも……」
そこでふふふっと顔をほころばせた。
人生とはそう言うものなのかも知れない。自分だけに都合良く組み上げたものは、所詮、瓦解する定めなのだろう。
「シンジくんは白紙の状態なのよね。ということは、条件は誰もが同じ。ミサトがそういうつもりなら、私もシンジくんに乗り換えようかしら。碇司令よりシンジくんのほうが歳は近いのだし」
さて、今度の結末はどこに向かうことになるのやら、誰がシンジのハートを射止めることになるのやら。
赤木リツコはぺろりと舌を出して、これからに想い馳せるのであった。