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第25話「終わる世界」

 心と魂の補完。その最後の扉が開かれる日は目前に迫る。



 ネルフ本部副司令・冬月コウゾウの場合。



「フィフス? 補完委員会が直接送り込んできたのか?」

 青葉シゲルから報告を受けて、冬月コウゾウは首を傾げた。

「今更、なにを考えているのやら」

 碇ゲンドウなら、何らかの分析を行なって対応を考えたかも知れない。

 が、冬月コウゾウには、この唐突なフィフスチルドレン選抜の意味目的を推測できなかった。フォースチルドレン用の機体すら補充しかねている現在、さらにチルドレンのみを増やしてどうしようというのか。

 キール議長もボケが回ったか、とまで考えた。

「そのフィフスチルドレンですが」

 と青葉シゲルが報告を継ぐ。

「シンジく……いえ、サードチルドレンと接触したようです」

「ふむ?」

 それもよく分からない話だった。

 落ち着かないそぶりで、冬月コウゾウは尻をもぞもぞと動かした。

 立ちんぼうの時は疲れると思ったが、こんな椅子に腰掛けているのも疲れるものだな、と冬月は思う。

 碇ゲンドウが倒れたために、現在の肩書きは総司令代行だ。

 主のいない司令椅子の横で直立して手を背中で組んでいるのも間抜けだから、仕方なくゲンドウの代わりに座っているが、どうにも落ち着かない。

 自分には似合わないと思うのであった。

「こんな時に……」

 溜息混じりの繰り言を漏らした。

「加持くんがいたら、役に立ってくれたかもしれんのだが」

 戦闘配置から居場所を奪った覚えもないのに、加持リョウジはネルフ本部に寄りつかなくなってしまっていた。

「碇。俺ひとりでは荷が重いよ……」

 退場の時期を誤ったかと悔やむ冬月コウゾウだった。



 国連人類補完委員会ネルフ特殊監察官・加持リョウジの場合。



 見上げれば、赤く染まったネルフ本部ピラミッドが見えるだろう。

 ジオフロントに射し込む光は、芦ノ湖畔の集光ビルから光ファイバーに運ばれて、外界そのままに夕陽の赤さを現出している。

 だけれども加持リョウジは、うつむいたままに無心に鍬をふるい、夕焼け色にも気付かないそぶりで、額に汗を光らせていた。

 元は加持の愛したスイカたちがまるまると肥え実っていたこの畑も、今や見る影がない。

 もはや畑とは呼べまい。高熱に焼き払われた土壌には養分の欠片も残っていないのだ。

「焼きリンゴは美味いが、焼きスイカなんて喰えないからな……」

 ぽつりとこぼす加持リョウジ。

 脳裏には、ジオフロントまで侵攻してきたあの第14使徒の熱線でぶすぶすと黒炭と化した愛するスイカたちの姿が浮かぶ。もう少しで収穫できるところまで来ていたというのに。

 うしなってみて初めて理解した。

 自分はスイカを育てるために生まれてきた男だったのだと。

「俺が葛城に惹かれたのも、あいつの胸がスイカに似ていたからってだけだったんだな、きっと」

 そして、第14使徒戦以来、加持リョウジは全てをなげうって、ただスイカ畑をなんとか元に戻すためだけに己の能力と時間を費やしてきていた。

 日本政府の仕事も、もうやめてしまった。

 碇ゲンドウの監視というゼーレからの密命も、もはや頭にはない。

 幸い、加持リョウジの本来の、そして公式の仕事は特殊監察官である。「監察」というのは組織の業務運営が正当に行なわれているかどうか、内部に腐敗が蔓延していないかどうかをチェックする機関だ。よく情報部や諜報部と混同されるが、なんの関係もない。

 ネルフという組織に属してはいるが、命令系統は独立しており、個人として国連に直属しているといってもよい。総司令たる碇ゲンドウにしても加持の行動を公的には束縛することは出来ない。

 そのために、加持リョウジが日がな一日、本部横の畑で鍬をふるっていても、誰もそれを止めることが出来なかった。あんなことしていてもいいのだろうか、という疑問を感じた者はいたが、自分たちを監察されるよりスイカ畑を観察してくれているほうが気が楽だし、と捨て置かれた。

 だから加持リョウジは、ただただ、スイカ畑の復活に全精力を費やすことが出来たのであった。

「もし、もう一度この畑にスイカが実ることがあったとしたら……」

 加持は額の汗を手の甲で拭って、遠い目をジオフロントの天蓋に向けた。

「8年前に言えなかった言葉を言うよ、葛城」



 ネルフ本部戦術作戦部作戦課第一課長・葛城ミサトの場合。



 コンピュータの冷却システムで吐く息が凍るほどに温度の下げられた狭い空間に、葛城ミサトは端末を持ち込んで、MAGI本体へのハッキングにいそしんでいた。

 碇ゲンドウが倒れたあおりを喰らって、発令所はそこここに幹部要員の抜けがある。赤木リツコはとんと顔を見せないし、そのためか伊吹マヤも多忙を極めていて、のんびり発令所の制御盤前でキーボードを叩いているわけにはいかず、あちこちを飛び回っている。

 今がチャンスだった。

 そして、最後の機会かも知れなかった。

 以前からちょこちょこと集めていた情報がこんなところで役に立とうとは。

 コンピュータシステムに関する知識は飛び抜けているわけではなかったが、葛城ミサトはひとつひとつ着実にセキュリティをかいくぐって、MAGIの深層へと潜り込んで行きつつあった。

「葛城さん」

 声をひそめた呼び声に、ミサトは一瞬、びくっとした。

「なんだ日向くんか。びっくりさせないでよ」

「すみません。あの、差し入れです」

「悪いわね」

 手渡されたのはサンドイッチとホットの缶コーヒー。

 かじかんだ手に暖かい。

「いえ。どうですか?」

「もうちょっとよ。メルキオールの最後の防壁を突破するところ。外の様子はどう?」

「発令所には、いまは僕しかいません。あと1時間か2時間は大丈夫ですよ」

「そんなに要らないわ」

 携帯端末のキーをぽちっとな。

 最終コードが解除され、ディスプレイの表示は葛城ミサトがスーパーユーザ権限を入手したことを示していた。

「やりましたね!」

「あたしの辞書に不可能の文字はないのよん」

 にんまりと微笑むミサト。襟口の襟章をぴんと人差し指で弾いた。

 三佐、ではない。一尉の階級章だ。

 それを見て日向マコトの表情がわずかに翳った。

「すみません、僕があの時、もうちょっとしっかりしていたら」

「日向君の責任じゃないわよ。あたしのミスだから」

 衛星軌道上から特殊な精神波長をもって攻撃してきた第15使徒戦。殲滅はしたものの多大の被害――主に金銭的な問題であったが――を出した責任を問われて、ミサトは降格されていた。

 作戦部責任者の任を解かれたわけではないが、せっかく昇進した佐官の位は剥奪されて元の一尉に戻されてしまった。

 葛城ミサトは、自分の階級などに拘りはない。階級には拘りはないが……それによって給与がまたぞろ減ってしまったことには拘りがあるのだ。

 その拘りが、今の葛城ミサトの原動力であった。

「これは!?」

 ミサトのキー操作につれてディスプレイに表示されていく情報を見て、日向マコトは思わず大声を上げた。

「しっ。気付かれちゃうでしょ」

「す、すみません。しかしこれは……セカンドインパクトの真実?」

 ミサトはこくりとうなづく。

「そうね。でも、こんなのはどうでもいいのよ。あたしはセカンドインパクトはこの目で見てるんだし。いまさら、ね」

「え?」

「そんなことより。あっ、これだ」

 葛城ミサトの目がすわった。凄まじい勢いでキーを打ち叩いていく。

「ふふふ。さすがはMAGI。新東京銀行のコンピュータシステムへもすいすいだわ」

「あの、葛城さん?」

 なにをやってるんですか、と目を丸くした日向マコトである。ミサトは、MAGIを経由して銀行のコンピュータにハッキングをかけていた。

「お金よ、お金がないのよ。給料減らされちゃって、もうあたしの口座はからっぽなの。マンションはレイに吹っ飛ばされちゃって、買い置きのえびちゅも全滅だし。服も今着てるのしかないし。加持のバカはスイカが燃えて惚けちゃってるからアテになんないし」

「え? え?」

「なんとかしないと飢え死になのよっ!」

 ようやく、上司がMAGIをハッキングしていたその目的が、ネルフの真実を暴くことではなく、銀行のコンピュータを操作して預金残高を改変――要するに泥棒することであったことに気付いた日向マコトであった。

 葛城さんって……そんな人だったんだ。

 かなり相当、呆然としたが。止めるつもりもなかった。

 今止めたりしたら、ここ数日の間ミサトにたかられ続けた飲食費を返してもらえないことを理解したからである。

「ついでに日向くんの口座も、いじっといてあげるわん」

「あ、ありがとうございます」

 と、体よく共犯者に仕立て上げられてしまったこともすぐに理解したマコトだが、毒くらわば皿までと、潔く諦めた。

「いいんですよ。あなたといっしょなら」

 どこまで堕ちていっても……。ちょっぴり涙は浮かんだ。

「すまないわね。えへへっと」

 葛城ミサトのほうは、お気楽なものだった。



 フィフスチルドレン・渚カヲルの場合。



 駅前から脱出した渚カヲルの姿は、今、ネルフ本部にあった。

 長大なエスカレータに乗って階上へと移動する渚カヲルは、ニヒルな微笑みも鼻歌も忘れて、ううんと悩んでいた。

 サードチルドレン。仕組まれたリリンの子ども。

 しかしどこかちぐはぐな感じがするね、と。

 そのとき。

「ちょっと、あんた」

 唐突に高飛車に呼びかけられて、渚カヲルは戸惑ったように顔を上げた。

「見かけない顔ね。中学校の制服なんか着ちゃって」

 エスカレータをのぼりきった先に、腰に手を当ててきつい表情で見下ろしている少女が立っていた。

 赤い髪に青い瞳。ちょっとした美少女だが、服装が変だ。

 まるきりサイズが合っていない、だぼだぼの黒のスーツに埋もれるように。腕やら足やらを折り返して着込んでいる。

 サイズがあっていれば男装の麗人と言えたが、ここまで合っていないとピエロにしか見えなかった。

「君は……まさか、セカンドチルドレン。惣流アスカラングレーくんかい?」

「あたしのこと知ってんの? 誰よ、あんた?」

 少女――惣流アスカはますますきつい表情で睨み付けてきた。

「ぼくはフィフスチルドレン。渚カヲルさ」

「あん? フィフス? あああああ!」

 鼓膜が破れそうな大声をあげた惣流アスカ。失礼なことにびしっと指先をカヲルの顔に向ける。

「あんたが噂のナルシスホモ!」

「なにを言ってるんだい?」

 いくらなんでも初対面でその言いぐさはないだろう、と後頭部に冷や汗を垂らす渚カヲルだった。

 この街の住人は変だ。みんな変すぎる。

 背筋にぞぞっと寒気が走る。

「シンジかミサトかリツコがどこにいるのか知らない? って聞くつもりだったけど、そんなことはあとでもいいわっ」

 いやに説明じみた台詞をはいて、惣流アスカはずいっと身を乗り出してきた。

「あんたが使徒だかチルドレンだか知んないけど……シンジを渡すわけにはいかないのよっ」

「君がなにを言っているのか、よくわからないんだけどね?」

「分からなくても良いわ。あんた、池田の猪落ち、って知ってる?」

 日本にやってきたばかりの渚カヲルは、それも言うなら池田屋階段落ちじゃないのかい、と突っ込む知識がなかった。古典落語も知るはずがなかった。

 なかったから。

 にやありと不気味に笑った惣流アスカの、これまたサイズの合っていない無骨な革靴の裏底を見る羽目になった。

「な、なにを……!」

 ネルフのエスカレータは、池田屋の階段どころの長さではなかった。ごろごろと転がり落ちる渚カヲルの悲鳴はいつまでもいつまでも続いたのだった。



 第17使徒タブリス・渚カヲルの場合。



「リリンのやることは想像を絶するね。ぼくがもし使徒でなかったら、絶対に死んでいるよ」

 口調は飄々としているが、顔色は真っ青で、頭からだらだらと紅い血を流している渚カヲル。

 腕もおかしな方向に曲がっているような気がするが、痛くないのだろうか。

 顔をしかめているところを見ると、いくら使徒でも苦痛は感じるようである。

 ふらふらになって、それでも立ち上がった渚カヲルは、くらくらするとばかりに頭をふった。

「ううん。ダメージは小さくなかったようだね。綾波レイが何人もいるように見えるよ」

「だって、たくさんいるのだもの」

 と、綾波レイは、いや、美少女戦隊アヤナミムーン隊長綾波レイは、渚カヲルの呟きに答えた。

 ぐるりと十数名の綾波レイが、へんてこな衣装に身を包んでカヲルを取り巻いていた。

 あれよあれよという間に、アヤナミレイのカタチたちが渚カヲルの手を取り足を取り、十字架のように拘束する。

 その前に相対したのは、これはたぶんオリジナルの綾波レイ。ポケットから携帯電話を取り出しつつ、冷たく宣告した。

「アヤナミムーン、参上なの。わたしの碇くんをあなたに任せるわけにはいかない。あなたはもう用済み。さよなら」

 脈絡がまるで理解できない渚カヲルであったが。

 とりあえず、ひくひくと頬をひきつらせた。



 ネルフ本部総司令・碇ゲンドウの場合。



 男だったらシンジ、女だったらレイ、と名付ける。

 ますます膨らんできた妻の腹部をやさしく見て、そう答えたときが一番幸せな時だったのだろう。

 これまでの人生で唯一、人から愛されていると錯覚できた短い時間だった。

 だが、初めて、才能ではなく人間としてゲンドウを受け入れてくれた女性は、自らの意志でゲンドウを捨て、エヴァと融合する道を選んだ。

 あるいは最初から、ゲンドウは利用されていただけだったのか。

 自分が人に愛されるとは信じられない、とその苦渋に満ちた想いだけがまた、ゲンドウを固く包み込んだ。

 だからといって、人類など滅んでしまえばよい、と思い切れるほどに碇ゲンドウという男は酷薄でも無能でもなかった。

 碇ゲンドウが捨てたのは、己自身だった。

 碇ユイの遺志を継ぎ、エヴァを箱船とし、人の形をすてても人類が思い出をそのままに残して生き続ける補完計画の道を選んだのだった。

 その、ともすれば萎え果ててしまいそうな心の支えになったのは、碇ユイとの今再びの邂逅の可能性。それだけを糧に突き進んできたのだったが。

 ロンギヌスの槍を活用できぬままに失い、アダムをも失い、残された不完全なリリスだけではゼーレの目する補完計画すら危うい。ましてやゲンドウの望む補完計画など遂行できようはずもなし。

 目の前が暗黒に閉ざされた気がした。

「ユイ……」

 そして、うなされ目覚めたそこには、柔らかな金髪が影を落とす泣きぼくろが愛らしい女性の貌があった。

「お目覚めになりましたか?」

「うむ」

 そっと濡れたタオルを額に当てられる。

 妙に優しい仕草が、ゲンドウの胸をふとしめつけた。

 弱気になってしまったか、とゲンドウは自嘲して目を細めた。

「私は」

 と、赤木リツコ博士はベッドに寄り添った。

「なにも恨みはありません。私自身が子どもだったから」

 ゲンドウにも、彼女が何を言おうとしているのか理解し難かった。

「一年前よりは……あなたのお気持ちが分かるような気がします。あの銃弾は……たぶん、私に優しかったから」

「なんの話だ?」

 怪訝な表情を浮かべたゲンドウに、赤木リツコはしみ通るような柔らかな笑顔で応えた。

「この一年、ずっと準備を重ねてきました。約束の時ですわ」

 ピッ、と鳴る電子音。赤木リツコはポケットから携帯電話を取り出す。

「レイ? そう、用意が出来たのね。お願いするわ」

「赤木博士。何の準備だ?」

「これが私に考えられるたったひとつの冴えたやり方」

 赤木リツコの赤い唇が、そっとゲンドウの唇に重なる。

 重ねたまま、文字通り口移しするように、赤木リツコは答えた。

「オール・リターン」



 そして全てを過去へと還す、

 人々の補完がはじまった。

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