第24話「最後のシ者」
16番目の使徒までがすでに殲滅されて。
人類補完計画への道程は、いよいよその最終章を迎えようとしていた。
セカンドチルドレン・惣流アスカラングレーの場合。
廃墟のようにうち崩れた瓦礫に埋もれるその部屋で、惣流アスカは浴槽に身を沈めながらぼんやりと空を眺めていた。
天井は吹き飛んでしまって無く、青い空にやるせなさそに浮かぶ白い雲の流れ行くのが見える。周りの壁も吹き飛んで形骸はなく、浴槽がまだ形を保っているのが不思議なくらいの荒れようであった。
浴槽の水は埃に汚れて冷たく、やつれた少女の頬もまた汚れている。中学生にしては発育した自慢のプロポーションも、もはや張りがない。
ガサリ、と足音が気怠い静寂をうち破った。
人影が惣流アスカの肢体に落ちる。
「惣流アスカラングレーだな?」
ネルフ諜報部の黒服が少女を覗き込んでいた。
惣流アスカは瞳だけを動かしてぼんやりとその声の方向を見やって。
大声を上げた。
「キャー、エッチ、痴漢、変態、なに覗いてんのよっ!」
「い、いや、ちょっと待て、ぐわ」
手当たり次第に投げられた瓦礫のコンクリート片のひとつが諜報部の男の頭を直撃し、男は後ろざまに昏倒した。
ぜえぜえと肩で息をしながら、惣流アスカは浴槽から立ち上がった。
「あ、やば。やりすぎちゃったかな。おーい、生きてる?」
返事はないが、死んではおるまい。
「にしてもまったく。このアスカ様を助けに来るのに何日かかってんのよ。あー、お腹空いて死にそう」
暑さは浴槽に残った水に身体を浸すことで凌げたが。
「だいたいミサトもミサトよね。自分の家がこんなになってんのに、何やってんだか」
ぶつくさと繰り言をこぼしながら、惣流アスカは諜報部員の服をはぎ取っていった。
廃墟と化して面影はないが、ここは、コンフォート17マンション11階、葛城ミサト邸。
のんびりと昼間から命の洗濯とシャワーを浴びているところに、突然の大爆発が起こり、なにもかもが吹き飛ばされてしまったのであった。
第16使徒殲滅のとばっちりを受けたのであるが、惣流アスカはそれは知らない。ただ、自分が全裸で奇跡的に残ったバスルームにひとり取り残されてしまったことだけが事実だった。
花も恥じらう14歳の乙女だ、裸ではどこにも行けないではないか。
体格がまるで合わないが、黒のスーツを身に纏った惣流アスカは、2日ぶりに一息ついた。下着を付けていないのが心許ないけれど、がに股で意識を失っているこの諜報部員のむさ苦しいデカパンをまで脱がして履く気にはなれない。
「しっかし、ひどいことになってるわね。なにがあったんだろ?」
諜報部員の持っていた携帯電話でネルフ本部と連絡を取りながら、惣流アスカはかろうじて残っている床の端に立って眼下を見下ろす。
第三新東京市中心部は残っているが、コンフォート17マンションの周囲はえぐれ、芦ノ湖から流れ込んだ水で小さな湖のようになってしまっていた。
フォースチルドレン・鈴原トウジの場合。
がつがつとそれは見事に弁当箱を平らげていくその食べっぷりは、ほとんど欠食児童である。
ご飯粒が辺りに飛び散りそうな勢いだが、そんなもったいないことはしない。
なんといっても、洞木ヒカリ委員長のお手製弁当なのだから。
「ど、どう? 鈴原」
隣の席に腰掛けて嬉しそうに、不安そうに見つめるヒカリに、鈴原トウジは箸を休めずにもごもごと答えた。
「ん? めちゃくちゃ美味いでえ。これが残飯とは信じられんわ」
誉めているのか貶しているのか非常に分かりにくい物言いなのだが、洞木ヒカリは満足したようだ。
ぽっと頬赤らめて、鞄からごそごそとまたなにやらを取り出した。
「あの、デザートもあるから」
「おっ、そのケーキも残飯か? すまんなあ、イインチョ」
「ううん。あ、あの、お茶もあるから」
学校に準備されている茶は不味いとこぼしているトウジのために水筒まで用意してきたらしい。
そんな様子を見て、微笑ましいというより「やってらんねーよ」と嫉妬まじりに吐き捨ててしまう2年A組男子の面々だった。そして。
「平和だねえ」
と、うらやましさにるる〜と涙流してうそぶく相田ケンスケであった。
「それより、なあ、トウジ」
「なんや?」
「シンジはどうしてるんだ? 綾波や惣流もこのごろ学校に来てないし」
「いや。ワシもよう分からんのや」
「分からないって。お前もチルドレンだろ?」
「いや、ワシの場合はなあ。あ、おおきに」
ヒカリから受け取ったお茶をごくりと飲んで、鈴原トウジは首を傾げた。
「チルドレンちゅうたかて、ワシの乗るはずやったエヴァは、勝手に動き出してシンジらにズタボロに壊されてしもたしなあ。新しい機体が来るまでは、訓練もでけへんそうやさかい」
「そのほうが……いいわよ」
と洞木ヒカリは不安そうな顔をした。
「鈴原が戦うなんて。あぶないわ。この間だって郊外が爆発で湖になっちゃったのに」
「言うたかて、ワシはネルフ本部で眺めてただけやさかいなあ。あんまり実感、あらへんで」
「あれって、N2爆弾だったのか?」
「いや、違ゃうちゃう。なんや綾波がネルフで保管したあった使徒の卵みたいなもん、投げつけおったって言うとったわ」
「使徒の卵?」
「そや」
名前だけのチルドレンであるただの中学生の鈴原トウジに、アダムの代わりとして培養管理されていた第8使徒の胎児と第16使徒接触によるインパクトのメカニズムを説明できるはずも、その意味を理解できるはずもないのであった。
相田ケンスケのように興味があるわけでもない。
五体満足で、洞木ヒカリ委員長の手作り弁当を食べておれるのだから、鈴原トウジにはそれ以上なんの不満もなかった。
ネルフ技術部長・赤木リツコの場合。
白く無機質な部屋で、赤木リツコはじっと腰掛けていた。
いつものように白衣は着ておらず、ノースリーブのセーターとタイトなマイクロスカートだけの彼女は、ずいぶんと若々しく見えた。
軽く伏せられた睫毛の下の瞳が、泣きぼくろに支えられて妖艶に霞む。
「ほんとに不器用な人なのね」
ぽつり、赤木リツコはつぶやいた。
「ロンギヌスの槍は、リリスへの遺伝子操作も、アダム代わりの使徒の胎児への制御も行なう前に、ディラックの海に消えてしまった。その胎児も、レイが勝手に持ち出して、使徒の殲滅に使ってしまった」
ふふと唇を微笑むように歪める。
「暴走して使徒を食べるなんてこともなかったから、初号機にもS2機関は生まれず、ユイ博士はコアの奥深くで未だに眠りに就いたまま。もはやどんな方法をとっても司令の補完計画は実行できない。だからって」
リツコは白い手を伸ばして、そっと目の前のベッドに乗せた。
「絶望して倒れてしまうなんて。思っていた以上に融通のきかない弱い人だったのね、碇司令」
ベッドの上では、あまりのショックに倒れてしまった碇ゲンドウが、ううんううんと額に汗を滲ませ、うなされていた。
十数年間、全てをなげうって傾倒してきた計画の挫折であるから、口振りとは別に、ゲンドウの気持ちを理解は出来る赤木リツコだ。
「でも、安心して下さい」
そのゲンドウの胸に身体を預けるように上半身を倒して、リツコはささやいた。
「私が新たな夢を紡いでさしあげますわ。私の補完計画は順調に進んでいますもの」
頬をシーツに埋ずめたまま、リツコは苦渋に歪んだゲンドウの顔を見上げた。
「今度は一緒に死んで、なんて言いません。一緒に……生きて下さいね」
やさしげな表情を浮かべた赤木リツコの顔は、ほんわりと幸せそうにけぶっている。
やり直しの人生。今度は後悔するつもりはなかった。
「もうすぐ最後の使者が現われる。それが終われば……」
赤木リツコは、そう言って静かに瞼を閉じるのだった。
ファーストチルドレン・綾波レイの場合。
この少女もまた全裸で、ターミナルドグマに立っていた。
雪のように白い素肌がオレンジ色の室内光に照らされて、幻想色に染まる。そこは、ダミープラント。
壁面の水槽には、多くのアヤナミレイのカタチをした生きた人形たちが浮かび漂っていた。
それはダミープラグの素体であり、綾波レイの予備であり、サルベージされた碇ユイの魂を持たない模造である。
等しく同じ顔の少女たちをぐるりと見渡して、綾波レイは静かに語りかけた。
「とうとう碇くんとひとつになれないままに、約束の時が来てしまったの」
淡々とした口調ではあったが、どこか悔しそうで残念そうだ。
「わたしと同じ感じがするあのヒトは、すでに日本に来ているという。わたしの碇くんの身に危険が迫っている……こうなったからには最後の手段なの。あなたたちにも手伝ってもらわないとだめ」
綾波レイは壁面の水槽への入り口ドッグを、うんしょうんしょと開き始めた。
電子ロックだが、力技でこじあけていく。目的のためには手段は選ばないからだ。あるいは彼女は、そもそも性格的にずぼらで、遠回りなやり方が性に合わないのかも知れない。
そのわりに、姑息な策謀を巡らせては失敗を続けているが。
ようやく開けたドッグから、綾波レイは魂の器たちをつぎつぎとひっぱりだした。
ひっぱりだされたアヤナミレイのカタチたちは、きょとんとしている。
「大丈夫。赤木博士の許可はとっているもの」
諭すように語りかける綾波レイ。
その言葉がカタチたちに通じているのかどうかは定かでないし、また、「やります」と一言書いただけの置き手紙で許可をとったことになるのかどうかも疑問があるし、だいたい赤木リツコは碇ゲンドウの病室につきっきりなのでその手紙を見てもいなかったが、綾波レイは細かいことには頓着しなかった。
「さあ、碇くんを守るの。服は用意してあるわ」
いったいどこから用意してきたのか、さらに謎であるが、綾波レイは床に無造作に積み上げた制服を指差した。
第壱中学の制服ではない。テレビ漫画に出てくるような、少女戦士の戦闘服に似た制服が何着も。
「あなたたちは今日から、碇くんをまもる美少女戦士なの」
同じ顔だから美少女と言い切ってしまうと自画自賛のようであるが、綾波レイにはそういう意識はない。言葉の綾である。
ついでに名前もつけるつもりのようだ。
「わたしは二人目だから……あなたは綾波3号。あなたは綾波4号……いえ、それだと碇くんが混乱してしまうかもしれない。綾波仮面3号……だと猿まねになってしまうから、猿は嫌いだから……綾波レッド、綾波ブルー、綾波パープル……というのも芸がないわ」
惑星の名前でもつけようか、と綾波レイは首を捻ったが、そもそも、自分以外のアヤナミレイたちの個々を見分けることが出来ないことに気付き、困ってしまった。
「どうして同じ顔をしているの?」
怒っても仕方ないのである。
色々と思案しているようで、その実、とても行き当たりばったりな綾波レイだった。
サードチルドレン・碇シンジの場合。
碇シンジは期待に頬を赤らめて、駅前に立っていた。
以前は崩壊し、湖と化した場所だが、今回は被害もなく街並みは無事だ。美しいままの天使像のそばで、碇シンジはベートーベンの第九のハミングを今か今かと待ちわびていた。
「歌はいいねえ……歌は心を潤してくれる」
と呟いたのはシンジの台詞である。
あの時の邂逅を思い起こして、つい漏れた。
「リンリンの生みだした文化の極みだよ……か」
なんだかとんでもなく間違っているが、リリンなんて言葉は知らないシンジだから、記憶があやふやなのは仕方がなかった。
そうか、歌を作ったのはリンリン・ランランだったのか。インディアンが文化の発祥なんだな、カヲルくんって使徒なのに物知りだったんだなあ、とか訳の分からない理解をしていた。
約束の時を目の前にして、にこにこと顔を崩しながら、天使像の上を見上げる。
渚カヲルがそこに座っていてくれることを期待して。
しかし、渚カヲルはいくら使徒とはいえ、ゼーレから人の世の常識は教えられた存在であった。
湖畔に残る崩落した天使像の上で夕陽に照らされてハミングをしている、というのは格好がつくが、人通りの多い駅前の天使像の上によじのぼってそんな真似をしたら、精神を疑われてしまう。というか、間抜けなだけで少しもかっこよくない。
だから、当然、そんな真似はしなかったし。
碇シンジを捜し求めてやって気はしたが、傍目にはにたりにたりと意味不明に笑っておかしなことを一人呟いている少年を見て、ちょっとひいてしまったのだった。
「い、碇……シンジくんだね?」
それでも一応声はかけた。
その声に、ぶんと音が鳴るほどに首を振って、シンジは振り返った。
「カ、カヲルくん!」
「ぼ、僕の名前を知っているのかい、碇くん?」
初対面なのに、ファーストネームで呼ばれた渚カヲルは、かなり戸惑った。
その戸惑いにも気付かず、碇シンジは勢いよくカヲルに駆け寄った。とてもとても長かった。もう一度会いたいと思ってからすでに一年近くが経とうとしている。
シンジは喜びの絶頂にあり、舞い上がってしまっていた。
「シンジでいいよっ、カヲルくん! あ、あの、一緒にシャワー……お風呂に行く?」
さすがに渚カヲルものけぞった。
「き、君が何を言っているのかわからないよ?」
真っ昼間の駅前で、初対面の相手に唐突に一緒にお風呂に行こうと誘うその感覚が、まるきり理解できなかった。
碇シンジの中では、かなりすっ飛ばしているものの前世の因縁がらみで一応脈絡はあるわけであるが、それが今この時の渚カヲルに通じるはずもなく。
「もしかして、人違いじゃないのかい?」
サードチルドレン碇シンジという少年が好意に値するのかどうか、甚だに疑問であったから、渚カヲルは逃げ出したのだった。
「ああっ、待って、どこへいくの、カヲルくん!」
後ろも振り向かず、一目散に駆け出した渚カヲルに取り残されて、碇シンジは、ただ呆然と立ちつくしたのだった。
「そんな……」
人類補完計画への道程は、いよいよその最終章を迎えようとしていた。
セカンドチルドレン・惣流アスカラングレーの場合。
廃墟のようにうち崩れた瓦礫に埋もれるその部屋で、惣流アスカは浴槽に身を沈めながらぼんやりと空を眺めていた。
天井は吹き飛んでしまって無く、青い空にやるせなさそに浮かぶ白い雲の流れ行くのが見える。周りの壁も吹き飛んで形骸はなく、浴槽がまだ形を保っているのが不思議なくらいの荒れようであった。
浴槽の水は埃に汚れて冷たく、やつれた少女の頬もまた汚れている。中学生にしては発育した自慢のプロポーションも、もはや張りがない。
ガサリ、と足音が気怠い静寂をうち破った。
人影が惣流アスカの肢体に落ちる。
「惣流アスカラングレーだな?」
ネルフ諜報部の黒服が少女を覗き込んでいた。
惣流アスカは瞳だけを動かしてぼんやりとその声の方向を見やって。
大声を上げた。
「キャー、エッチ、痴漢、変態、なに覗いてんのよっ!」
「い、いや、ちょっと待て、ぐわ」
手当たり次第に投げられた瓦礫のコンクリート片のひとつが諜報部の男の頭を直撃し、男は後ろざまに昏倒した。
ぜえぜえと肩で息をしながら、惣流アスカは浴槽から立ち上がった。
「あ、やば。やりすぎちゃったかな。おーい、生きてる?」
返事はないが、死んではおるまい。
「にしてもまったく。このアスカ様を助けに来るのに何日かかってんのよ。あー、お腹空いて死にそう」
暑さは浴槽に残った水に身体を浸すことで凌げたが。
「だいたいミサトもミサトよね。自分の家がこんなになってんのに、何やってんだか」
ぶつくさと繰り言をこぼしながら、惣流アスカは諜報部員の服をはぎ取っていった。
廃墟と化して面影はないが、ここは、コンフォート17マンション11階、葛城ミサト邸。
のんびりと昼間から命の洗濯とシャワーを浴びているところに、突然の大爆発が起こり、なにもかもが吹き飛ばされてしまったのであった。
第16使徒殲滅のとばっちりを受けたのであるが、惣流アスカはそれは知らない。ただ、自分が全裸で奇跡的に残ったバスルームにひとり取り残されてしまったことだけが事実だった。
花も恥じらう14歳の乙女だ、裸ではどこにも行けないではないか。
体格がまるで合わないが、黒のスーツを身に纏った惣流アスカは、2日ぶりに一息ついた。下着を付けていないのが心許ないけれど、がに股で意識を失っているこの諜報部員のむさ苦しいデカパンをまで脱がして履く気にはなれない。
「しっかし、ひどいことになってるわね。なにがあったんだろ?」
諜報部員の持っていた携帯電話でネルフ本部と連絡を取りながら、惣流アスカはかろうじて残っている床の端に立って眼下を見下ろす。
第三新東京市中心部は残っているが、コンフォート17マンションの周囲はえぐれ、芦ノ湖から流れ込んだ水で小さな湖のようになってしまっていた。
フォースチルドレン・鈴原トウジの場合。
がつがつとそれは見事に弁当箱を平らげていくその食べっぷりは、ほとんど欠食児童である。
ご飯粒が辺りに飛び散りそうな勢いだが、そんなもったいないことはしない。
なんといっても、洞木ヒカリ委員長のお手製弁当なのだから。
「ど、どう? 鈴原」
隣の席に腰掛けて嬉しそうに、不安そうに見つめるヒカリに、鈴原トウジは箸を休めずにもごもごと答えた。
「ん? めちゃくちゃ美味いでえ。これが残飯とは信じられんわ」
誉めているのか貶しているのか非常に分かりにくい物言いなのだが、洞木ヒカリは満足したようだ。
ぽっと頬赤らめて、鞄からごそごそとまたなにやらを取り出した。
「あの、デザートもあるから」
「おっ、そのケーキも残飯か? すまんなあ、イインチョ」
「ううん。あ、あの、お茶もあるから」
学校に準備されている茶は不味いとこぼしているトウジのために水筒まで用意してきたらしい。
そんな様子を見て、微笑ましいというより「やってらんねーよ」と嫉妬まじりに吐き捨ててしまう2年A組男子の面々だった。そして。
「平和だねえ」
と、うらやましさにるる〜と涙流してうそぶく相田ケンスケであった。
「それより、なあ、トウジ」
「なんや?」
「シンジはどうしてるんだ? 綾波や惣流もこのごろ学校に来てないし」
「いや。ワシもよう分からんのや」
「分からないって。お前もチルドレンだろ?」
「いや、ワシの場合はなあ。あ、おおきに」
ヒカリから受け取ったお茶をごくりと飲んで、鈴原トウジは首を傾げた。
「チルドレンちゅうたかて、ワシの乗るはずやったエヴァは、勝手に動き出してシンジらにズタボロに壊されてしもたしなあ。新しい機体が来るまでは、訓練もでけへんそうやさかい」
「そのほうが……いいわよ」
と洞木ヒカリは不安そうな顔をした。
「鈴原が戦うなんて。あぶないわ。この間だって郊外が爆発で湖になっちゃったのに」
「言うたかて、ワシはネルフ本部で眺めてただけやさかいなあ。あんまり実感、あらへんで」
「あれって、N2爆弾だったのか?」
「いや、違ゃうちゃう。なんや綾波がネルフで保管したあった使徒の卵みたいなもん、投げつけおったって言うとったわ」
「使徒の卵?」
「そや」
名前だけのチルドレンであるただの中学生の鈴原トウジに、アダムの代わりとして培養管理されていた第8使徒の胎児と第16使徒接触によるインパクトのメカニズムを説明できるはずも、その意味を理解できるはずもないのであった。
相田ケンスケのように興味があるわけでもない。
五体満足で、洞木ヒカリ委員長の手作り弁当を食べておれるのだから、鈴原トウジにはそれ以上なんの不満もなかった。
ネルフ技術部長・赤木リツコの場合。
白く無機質な部屋で、赤木リツコはじっと腰掛けていた。
いつものように白衣は着ておらず、ノースリーブのセーターとタイトなマイクロスカートだけの彼女は、ずいぶんと若々しく見えた。
軽く伏せられた睫毛の下の瞳が、泣きぼくろに支えられて妖艶に霞む。
「ほんとに不器用な人なのね」
ぽつり、赤木リツコはつぶやいた。
「ロンギヌスの槍は、リリスへの遺伝子操作も、アダム代わりの使徒の胎児への制御も行なう前に、ディラックの海に消えてしまった。その胎児も、レイが勝手に持ち出して、使徒の殲滅に使ってしまった」
ふふと唇を微笑むように歪める。
「暴走して使徒を食べるなんてこともなかったから、初号機にもS2機関は生まれず、ユイ博士はコアの奥深くで未だに眠りに就いたまま。もはやどんな方法をとっても司令の補完計画は実行できない。だからって」
リツコは白い手を伸ばして、そっと目の前のベッドに乗せた。
「絶望して倒れてしまうなんて。思っていた以上に融通のきかない弱い人だったのね、碇司令」
ベッドの上では、あまりのショックに倒れてしまった碇ゲンドウが、ううんううんと額に汗を滲ませ、うなされていた。
十数年間、全てをなげうって傾倒してきた計画の挫折であるから、口振りとは別に、ゲンドウの気持ちを理解は出来る赤木リツコだ。
「でも、安心して下さい」
そのゲンドウの胸に身体を預けるように上半身を倒して、リツコはささやいた。
「私が新たな夢を紡いでさしあげますわ。私の補完計画は順調に進んでいますもの」
頬をシーツに埋ずめたまま、リツコは苦渋に歪んだゲンドウの顔を見上げた。
「今度は一緒に死んで、なんて言いません。一緒に……生きて下さいね」
やさしげな表情を浮かべた赤木リツコの顔は、ほんわりと幸せそうにけぶっている。
やり直しの人生。今度は後悔するつもりはなかった。
「もうすぐ最後の使者が現われる。それが終われば……」
赤木リツコは、そう言って静かに瞼を閉じるのだった。
ファーストチルドレン・綾波レイの場合。
この少女もまた全裸で、ターミナルドグマに立っていた。
雪のように白い素肌がオレンジ色の室内光に照らされて、幻想色に染まる。そこは、ダミープラント。
壁面の水槽には、多くのアヤナミレイのカタチをした生きた人形たちが浮かび漂っていた。
それはダミープラグの素体であり、綾波レイの予備であり、サルベージされた碇ユイの魂を持たない模造である。
等しく同じ顔の少女たちをぐるりと見渡して、綾波レイは静かに語りかけた。
「とうとう碇くんとひとつになれないままに、約束の時が来てしまったの」
淡々とした口調ではあったが、どこか悔しそうで残念そうだ。
「わたしと同じ感じがするあのヒトは、すでに日本に来ているという。わたしの碇くんの身に危険が迫っている……こうなったからには最後の手段なの。あなたたちにも手伝ってもらわないとだめ」
綾波レイは壁面の水槽への入り口ドッグを、うんしょうんしょと開き始めた。
電子ロックだが、力技でこじあけていく。目的のためには手段は選ばないからだ。あるいは彼女は、そもそも性格的にずぼらで、遠回りなやり方が性に合わないのかも知れない。
そのわりに、姑息な策謀を巡らせては失敗を続けているが。
ようやく開けたドッグから、綾波レイは魂の器たちをつぎつぎとひっぱりだした。
ひっぱりだされたアヤナミレイのカタチたちは、きょとんとしている。
「大丈夫。赤木博士の許可はとっているもの」
諭すように語りかける綾波レイ。
その言葉がカタチたちに通じているのかどうかは定かでないし、また、「やります」と一言書いただけの置き手紙で許可をとったことになるのかどうかも疑問があるし、だいたい赤木リツコは碇ゲンドウの病室につきっきりなのでその手紙を見てもいなかったが、綾波レイは細かいことには頓着しなかった。
「さあ、碇くんを守るの。服は用意してあるわ」
いったいどこから用意してきたのか、さらに謎であるが、綾波レイは床に無造作に積み上げた制服を指差した。
第壱中学の制服ではない。テレビ漫画に出てくるような、少女戦士の戦闘服に似た制服が何着も。
「あなたたちは今日から、碇くんをまもる美少女戦士なの」
同じ顔だから美少女と言い切ってしまうと自画自賛のようであるが、綾波レイにはそういう意識はない。言葉の綾である。
ついでに名前もつけるつもりのようだ。
「わたしは二人目だから……あなたは綾波3号。あなたは綾波4号……いえ、それだと碇くんが混乱してしまうかもしれない。綾波仮面3号……だと猿まねになってしまうから、猿は嫌いだから……綾波レッド、綾波ブルー、綾波パープル……というのも芸がないわ」
惑星の名前でもつけようか、と綾波レイは首を捻ったが、そもそも、自分以外のアヤナミレイたちの個々を見分けることが出来ないことに気付き、困ってしまった。
「どうして同じ顔をしているの?」
怒っても仕方ないのである。
色々と思案しているようで、その実、とても行き当たりばったりな綾波レイだった。
サードチルドレン・碇シンジの場合。
碇シンジは期待に頬を赤らめて、駅前に立っていた。
以前は崩壊し、湖と化した場所だが、今回は被害もなく街並みは無事だ。美しいままの天使像のそばで、碇シンジはベートーベンの第九のハミングを今か今かと待ちわびていた。
「歌はいいねえ……歌は心を潤してくれる」
と呟いたのはシンジの台詞である。
あの時の邂逅を思い起こして、つい漏れた。
「リンリンの生みだした文化の極みだよ……か」
なんだかとんでもなく間違っているが、リリンなんて言葉は知らないシンジだから、記憶があやふやなのは仕方がなかった。
そうか、歌を作ったのはリンリン・ランランだったのか。インディアンが文化の発祥なんだな、カヲルくんって使徒なのに物知りだったんだなあ、とか訳の分からない理解をしていた。
約束の時を目の前にして、にこにこと顔を崩しながら、天使像の上を見上げる。
渚カヲルがそこに座っていてくれることを期待して。
しかし、渚カヲルはいくら使徒とはいえ、ゼーレから人の世の常識は教えられた存在であった。
湖畔に残る崩落した天使像の上で夕陽に照らされてハミングをしている、というのは格好がつくが、人通りの多い駅前の天使像の上によじのぼってそんな真似をしたら、精神を疑われてしまう。というか、間抜けなだけで少しもかっこよくない。
だから、当然、そんな真似はしなかったし。
碇シンジを捜し求めてやって気はしたが、傍目にはにたりにたりと意味不明に笑っておかしなことを一人呟いている少年を見て、ちょっとひいてしまったのだった。
「い、碇……シンジくんだね?」
それでも一応声はかけた。
その声に、ぶんと音が鳴るほどに首を振って、シンジは振り返った。
「カ、カヲルくん!」
「ぼ、僕の名前を知っているのかい、碇くん?」
初対面なのに、ファーストネームで呼ばれた渚カヲルは、かなり戸惑った。
その戸惑いにも気付かず、碇シンジは勢いよくカヲルに駆け寄った。とてもとても長かった。もう一度会いたいと思ってからすでに一年近くが経とうとしている。
シンジは喜びの絶頂にあり、舞い上がってしまっていた。
「シンジでいいよっ、カヲルくん! あ、あの、一緒にシャワー……お風呂に行く?」
さすがに渚カヲルものけぞった。
「き、君が何を言っているのかわからないよ?」
真っ昼間の駅前で、初対面の相手に唐突に一緒にお風呂に行こうと誘うその感覚が、まるきり理解できなかった。
碇シンジの中では、かなりすっ飛ばしているものの前世の因縁がらみで一応脈絡はあるわけであるが、それが今この時の渚カヲルに通じるはずもなく。
「もしかして、人違いじゃないのかい?」
サードチルドレン碇シンジという少年が好意に値するのかどうか、甚だに疑問であったから、渚カヲルは逃げ出したのだった。
「ああっ、待って、どこへいくの、カヲルくん!」
後ろも振り向かず、一目散に駆け出した渚カヲルに取り残されて、碇シンジは、ただ呆然と立ちつくしたのだった。
「そんな……」