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第20話「静止した闇の中で2」

 使徒たちはみんな泳ぐことがとても好きである。

 綾波レイが暇さえあればプールやらLCLやらでぼけらっと浮かんでいたように。

 異形のものたちだって、その嗜好は変わらない。

 第三使徒は(ぬめっとした人型緑色の奴だ)、クロールを切って第三新東京市までやってきた。

 第四使徒は(ぬめっとしたケチャップスルメ型の奴だ)、こいつはバタフライでやってきた。ただし、海中ではなく空中だったが。

 第五使徒は(キラっとしたカクカクの奴だ)、本人は平泳ぎで空中遊泳しているつもりだったが、形が変わらないので誰にも気付いてもらえなかった。

 第六使徒は(エイのお化けみたいな奴だ)、わざわざ解説しないでも泳いでいたことは一目瞭然だった。

 第七使徒は(分裂しそこなった間抜けな奴だ)、泳ぐ気はあったが実は金槌だったので海底をてくてく歩いてきていた。

 第八使徒は(胎児のまま加持に捉えられてしまった奴だ)、ちょっと変わってマグマの中を泳ぐといういなせなところを見せようとしていたのに、孵化できなかったのは哀れであった。

 第九使徒は。

 さて、仲間外れは誰? と言われたら一斉に指差されてしまいそうな形状をしていた。蜘蛛の手足を持った亀さんである。

 亀なら泳げるが、手びれ足びれの代わりに蜘蛛の足をつけるなんてあんまりだ、と嘆きながら、よたりよたりと進軍を続けた。やはり使徒のひとつだけあって泳ぐのは大好きだという気が自分でもするのに、どう考えてもこの形では泳げない。

 これで泳いだら反則のような気がする、自分でも。

 その嘆きと泳ぎへの渇望のあまり、第九使徒はだらだらと口元から唾液――よだれを垂れ流してしまっている。

 ただ、このよだれが強力な溶解液の性質を持っているのだから、たちが悪い。

 ネルフ本部溶かして、アダムと交渉するんだ。もっと泳げるような形状に生まれ変えてくれ、と。

 そんな意気込みで第九使徒は、懸命にがちゃがちゃと長く醜い手足を動かし、第三新東京市を目指すのだった。



「って。くだらない話ね」

 惣流アスカはせせら笑って、ぐちゃりと第九使徒を踏みつけた。もちろん、直接ではない、弐号機に乗っている。

「あんたが考えたわけ?」

 容赦なく繰り出される弐号機の足蹴りに、使徒はあっさり潰れた。

 以前は。たかだかパレットライフルごときに殲滅されてしまったような脆弱な使徒である。今のアスカが繰る弐号機の敵ではないのだ。

「なんだよ、馬鹿にしないでよ」

 少し不服そうな声の碇シンジ。

 パイロットの感情につられて初号機の頬もふくらんでいるよう。弐号機と鼻面を付き合わせながら、やっぱり使徒を踏みつけている。

「ああ、そういやあんた沖縄でスクーバしたとき、なんだか怖そうにしてたわよねえ、海に入るの、さ」

「え? そ、そんなことないよ」

「くくく。もしかしてさ、あんた、泳げないとか? だからそんなくだらない妄想が浮かんじゃうんじゃないの?」

 アスカにしてみれば軽い気持ちの冗談だったが、焦ったように目を反らして(初号機の目玉は動かないが、そんな風情で)使徒を踏みつぶす動作が激しくなったのを見ると。

「図星なの? あはは、だっさー」

「いいじゃないか。泳げないからって何か困るわけじゃないんだし」

「そんな問題じゃないでしょ? わかったわ。シンジ、明日っからネルフのプールで特訓よ」

「や、やだよ。なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ」

「あー、口答えすんじゃないわよ。それにさ、シンジ」

 口調を急に甘ったるくさせる惣流アスカ。

「な、なに?」

「ネルフ本部のプールならあたしたちだけになれるしさ。修学旅行んときにファーストが握りしめてたような水着、着てあげてもいいわよ?」

「え、えっ?」

 初号機が動きをとめた。

 なにやら想像しているらしい。エヴァンゲリオンは鼻血は出ない。あるいは出ていても頭部装甲に隠されて見えない。

「碇くん」

 と、少し離れたところから使徒のATフィールドを中和していた綾波レイが割り込んだ。

 ドカドカと駆けてきて、そのままの勢いに弐号機をはね飛ばし、初号機の手を握る。

「わたしが泳ぎをおしえてあげるの。すぐに行きましょう。今から行きましょう。いく。いくの」

 修学旅行ではアスカに水着を取り上げられ、こんこんと説教されてしまった綾波レイだ。羞恥心を持てとか、常識をわきまえなさいよとか、さんざんこき下ろされスクール水着を強制されてしまったのに、そう偉そうに言ったアスカ自身が同じ手で誘惑しようとしているのを許せるわけがないのであった。

「ちょ〜っとファースト。なにすんのよっ!」

 木の枝をひっかけながら起き上がってきた弐号機が吠えた。

 ここが第三市からは少々外れた無人の防衛線地帯であったから良かったが、もし市街なら、林のかわりにビルをなぎ倒して転んでしまっているだろう。

「あなたはずるいの。わたしの碇くんを惑わさないで」

「いつシンジがあんたのものになったってのよ?」

「わたしと碇くんはひとつになるために生まれてきたの」

「は、恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ! バカシンジはあたしの下僕になるために生まれてきたんだからね!」

「や、やめなよ、ふたりとも」

 どっちが恥ずかしいことを言ってるんだよ、と平常心を取り戻したシンジ。掴み合いになった弐号機と零号機の間に割り込んだ。

 ぼくはカヲルくんと逢うために生まれてきたんだから、どっちもちがうよ。と思ってるが、それは口には出さない。

「それに綾波、今すぐってのは無理だと思うよ?」

「どうしてそういうこというの?」

 いや、どうしてもこうしても。

「だって、今は本部には戻れないよ」

 エヴァンゲリオン三体が携帯外部電源を背負って動作試験だと第三新東京市郊外に配置されたと同時に、ネルフ本部からの連絡は途絶えていた。

 『以前』と同様、何者かによって停電させられたのであった。



「所詮、人間の敵は人間だよ」

 と、ネルフ本部では碇ゲンドウが蝋燭の火に照らされて気取っていた。

 こんな蝋燭をどこから持ち出してきたのかは謎だ。

 空調は止まっているから蒸し暑い上に、大量に蝋燭を並べたので煙い。

「まあしかし、ちょうどエヴァが携帯電源の実験とは、偶然にせよ運が良かったな」

 下層のスタッフたちに気付かれないよう、そっとバケツに水を張りながら冬月コウゾウが胸をなでおろした。

「もしこんな時に使徒が襲来したとしても、エヴァは動いているからな」

「うむ」

 と同意するゲンドウだが。やや腑に落ちないものがあったらしい。

 バケツに足をつっこむためズボンをたくしあげつつ、冬月コウゾウに問いかけた。

「この実験を企画したのはおまえか?」

「いや。赤木くんだが。それがどうした」

「ふむ……」

 眼下の発令フロアには、葛城ミサトの姿は見えない。

 赤木リツコが落ち着いた様子で、復旧作業の指揮をとっていた。

「司令と副司令がこの暑さにも動じないのはさすがですけど」

 と吹き出る汗を拭いながら伊吹マヤ。感心した目をリツコに向けた。

「先輩もそんなに涼しい顔で。尊敬しちゃいます!」

「そう?」

 赤木リツコはくすりと笑った。

「じゃあ、あなたにも貸してあげるわ。ほら」

「え? アイスノン? こんなもの、どこから持ってらっしゃたんですか?」

「ふふふ。備えあれば憂い無しよ」

「備えあれば、って……」

 そういう次元の問題なのだろうか。まさか、いつも白衣の裏にアイスノンを忍ばせているわけでもあるまいに。

 もしかして先輩は四次元ポケットの開発に成功していたとか? と、首をひねる伊吹マヤであった。

 使徒来襲と殲滅の報は、やっぱり選挙カーをハイジャックした日向マコトによってネルフ本部にもたらされた。



 第三新東京市を見下ろす山の中腹。

 日はすでにとっぷりくれた頃、ぽつりぽつりと市街に明かりが戻り始める。それを眺めて惣流アスカは溜息をついた。

「テロみたいなもんだったって、前はミサトがそんなこと言ってたと思うけど。まったく進歩がないわね」

 この丘からこの情景を見下ろすのも二度目だ。

 碇シンジを真ん中に挟んで、アスカとレイが寄り添うようにしているのが違うが。放っておくと掴み合いのケンカになりそうなので、シンジが割り込んでいる、というほうが正確ではある。

「しかたないよ。ぼくたちは二度目だけど、他の人たちにとっては初めてだもん」

「まあ、そりゃそうだけどさ」

 こくりと綾波レイも頷く。

「人は闇をおそれ、火を使い、闇を削って生きてきたわ」

「てっつがく〜って、あんたそれ、前も言ったじゃないのよっ。しかも脈絡ないし」

「もう、ケンカしないでったら」

「なによ、偉そうに。バカシンジのくせに」

 とシンジの頬をつねるアスカ。力は入っていないので、くすぐったい。

「まあ、うまくリツコを説得して、先にエヴァが出撃できるように段取りさせたのは誉めてあげるわ。おかげで、あの窮屈なダクトをもぐるなんてだっさい真似はしなくてすんだしね」

 だがシンジは怪訝そうにアスカの顔を眺めた。

「何言ってるんだよ。ぼく、そんなことしてないよ」

「え。だって」

 アスカ同様、レイもきょとんとした目をシンジに向ける。

「アスカ、知らなかったっけ? リツコさんもサードインパクトから戻ってきてるんだよ」

「へええ?」

 惣流アスカは素っ頓狂な声をあげてしまった。

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