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第17話「マグマダイバー」

 ホットパンツに包まれた健康的なヒップが、十代の少女特有のなだらかなうねりを描いてプクリっと動く。

 投げ出された素足が、これまたなめらかな肌艶を見せてふらりふらりと揺れる。

 カーペットの敷かれたリビングに寝そべって、もぞもぞ下半身をくねらせているのは惣流アスカ。

 残念なことに今葛城邸には彼女一人しかいないので、その健康美を堪能できる幸運に恵まれているのは、ブラウン管の向こうのクイズ番組の出演者だけ。

 テレビはやかましく「がってんがってん」とか「ファイナルアンサー」とか叫んでいるが、惣流アスカの目は手元の女性雑誌に向けられている。

 うつぶせになって片手はページをめくり、もう片手は忙しなくスナック菓子を口に放り込む。

 夕食前のひとときだ。

 間食はあまり美容によくないのだが、どうせ葛城ミサトが帰ってきても、さほど美味しい食事にありつけるわけでもないし。

 退屈をまぎらすために、ついつい駄菓子に手が伸びる。

「ただいまぁ、アスカ。って、なによ、暇そうね?」

 一日の仕事を終えて年寄り臭く伸びをしながらリビングに入ってきた葛城ミサト。

 だらしない少女の姿に苦笑した。

「おかえり、ミサト。今日はあんたの食事当番だからね。はやくなんか作ってよ」

「へいへい」

 とミサト。

 振り返りもせずに寝っころがったまま偉そうに指図するアスカに唇を尖らせた。

「当番たってさ、お腹減ったならお菓子なんて食べてないで、作ってくれりゃいいのに」

「なに甘えてんのよ。あたしの当番、代わってくれたことなんてないくせにさ」

 不機嫌そうなアスカの言。

 なりゆきで結局またミサト邸に同居となってしまったが、碇シンジがいないのは大きい。以前は三人で分担していた(しかも半分がた、シンジがやっていたので公平な分担ではなかった)食事当番も、そういうことには怠け者の女性ふたりで分かたなければならない。

 やる気になれば碇シンジに負けないくらいにはごちそうも作れようが、やる気にならないのだから仕方ない。結局、店屋物かレトルトで済ませてしまっている。

 それでも面倒なのは面倒なのであった。

「はーあ、完全に失敗だったわ」

 とぶうたれるアスカだ。

「んでも、アスカ、そんなにのんびりしていて良いの? 学校の準備は?」

 キッチンでレトルトカレーのパックを暖めながら、葛城ミサトが問いかけてきた。

「なによ。成績だって悪かないでしょ?」

 以前とは違う。そこそこに漢字も覚えているから、問題が読めなくて答案出来ないなんて間抜けなことはない。

 ドイツで受けた教育とはちょいとレベルが違って、日本の中学校ではいやに難しげで役に立ちそうにもないことを教わっていたが、数学・理科についちゃあアスカが今更悩むような内容ではないし、英語なんて教師よりアスカのほうが上だ。

 国語と社会で足をひっぱられるといっても平均じゃそこそこ上位。

 ミサトごときに文句を言われる筋合いはないのであった。

「勉強のことじゃなくってさ」

 と、葛城ミサトが続けた言葉は、惣流アスカを驚かせてくれた。

「もうすぐ修学旅行じゃなかったっけ? 準備しなくていいの?」

「へ?」

 だらけきった姿勢から、がばちょと再起動する。

「修学旅行って……待機じゃないのぉ?」

「ないわよ」

 んー、いい匂い。でも香辛料がちょっち足りないかなん、と七味唐辛子に伸びようとする手をかろうじておしとどめ(先日、アスカの鉄拳制裁を喰らったからだ)、葛城ミサトは湯気を立てるカレーライスをリビングに運びながら首を振った。

「行ってきんさい。誰も止めたりしないから」

「だだだだ、だって。もしその間に使徒がやってきたら……!」

「心配性ねえ。老けるわよ」

 けらけらと葛城ミサトは笑った。

「修学旅行ったって、たった三日でしょ。大丈夫よん。それにもしもの時は、国連軍のジェット機でぴゅーっとね。戻ってきてくれりゃいいから」

 なんでなんで、どうしてまた?

 と困惑の惣流アスカ。以前は、楽しみにしていたのを無理矢理強権でとりやめさせたくせに。

 なにがあったの?

「いや、ね。ほんとのこというと」

 とカレーをつっつきながら、葛城ミサトは種明かしをした。

「作戦部としちゃあ、待機してもらいたいところなんだけどね。碇司令が、修学旅行に行かせてやってくれってさ」

「碇司令が?」

 なんだか狐に化かされているような思いの惣流アスカであった。



 アダムを失った碇ゲンドウは、唐突に子煩悩になり、チルドレンたちに日常生活の幸せを掴ませてやろうと改心した。

 などということがあるわけもなし。

 アダムの消失がすぐに人類補完計画の瓦解に結びつくわけでもないとはいえ、このシナリオの齟齬は大きい。

 なんとかして修正シナリオを組まなくては、人類が滅びてしまう。碇ユイにいまふたたびまみえることも不可能になる。

 碇ゲンドウと冬月コウゾウの二人は必死だったから、くだらない学校行事の日程など頭にあるはずもなかった。そんな場合ではなかろう。いや、たとえ暇を持て余していたにせよ、そんなことに興味はない。

 それだから。

 碇ゲンドウは、最初、綾波レイがなにを言っているのかまるきり分からなかったのであった。

「つまり」

 混乱して口をつぐんでしまったゲンドウの横で、冬月コウゾウが確認した。

「修学旅行に行きたいから、その間、実験を休ませて欲しい、ということだね?」

 分かってもらえて良かった、とばかりに、綾波レイは、こくこくと首をふった。

「それはまた……」

 言いたいことは分かったが、さしもの冬月とて首を捻るしかない。

 総司令執務室に窓から差し込む陽光が、急に薄ぼやけてしまうように感じる。

 綾波レイは単なるチルドレンという立場を越えて優遇されているが、司令・副司令・技術部長の三者会議で人払いされているこの部屋に、わざわざそれを中断させてまで面談しに来て告げる用事では断じてなかった。

 そもそも、綾波レイが学校行事に積極的な意欲を見せるなど。まるで予想の範囲外だ。

「レイ、なにをつまらないことを言っている?」

 ようやく用件を理解した碇ゲンドウは呆れたように答えた。

「お前はそんなことのために学校へ」

 行っているのではなかろう、と続けようとして。綾波レイの浮かべた表情に思わず口ごもる。

 怒っていた。綾波レイが。

 ぎゅっと唇噛みしめ、絶対零度の拒絶を瞳に浮かべて目を細め、碇ゲンドウの顔を睨み付けている。

 あどけない輪郭のゆえに鬼のような形相にはならないのだが、それだけに冷淡さがゴツゴツと滲み出る。

 ううむ、ユイを怒らせたときもこんな顔だったな。

 そんな連想をしてしまったものだから、つうと背筋に冷や汗が伝わる思いでゲンドウは言葉を継げなくなってしまった。

 これではまるきり立場が逆である。

 ゲンドウがいやにシンジに冷たいのは――こういう状況になってしまうのが嫌で避けているだけなのかも知れないわね、案外。

 総司令執務室で唯一部外者のような顔をして様子を眺めていた赤木リツコ博士は、そんなことを考えてふっと顔をほころばせた。

 このまま見ているのも面白いが……。

「いいわよ、レイ。休暇をとっても」

 おだやかに空気をとろかせる。

 赤木博士の一言で、レイの顔がふわりとなごんだ。

「いいのかね、赤木くん?」

 冬月コウゾウの余計な一言でまたもや態度を硬化させかけた綾波レイに、赤木リツコは重ねて語りかけた。

「たまには第三新東京市を離れて羽を伸ばすのも悪くはないわ。シンジくんたちと……楽しんでおいでなさい」

「……はい」

 ばあさんと違って、リツコ博士は良い人。

 と綾波レイが思ったかどうかは分からないが、その乏しい表情で精一杯微笑んで、少女はほとんど嬉しげに素直な返事を薄紅の唇からもらした。

「レイ……」

 ちょっと待て、と言いかけた碇ゲンドウに、じろりと冷たい一瞥をくれて怯ませると、綾波レイはくるりときびすを返し、トテトテと執務室から歩み去った。

 もう許可はもらったの、だから止めても無駄。

 と、その背中は言っていた。

「いくらなんでもまずくはないかね?」

 綾波レイの姿が消え去ってから、冬月副司令は何とも言いようのない顔を赤木リツコに向けた。

「レイの休暇はともかく、今の話ではチルドレン三人ともを修学旅行にやるつもりのようだが」

「あら、副司令」

 ふふふと微笑む赤木リツコ。

「修学旅行と言っても海外ではなく沖縄ですもの。問題ありませんわ」

「ほう。沖縄、ねえ」

「あたしたちの頃はセカンドインパクトでそれどころではありませんでしたが。冬月副司令は行かれたのでしょう? どちらへ?」

「う、うむ。私の時代は逆に昔過ぎてね。修学旅行で海外という時代ではなかったから伊勢志摩だったよ。養殖真珠で有名だった。新幹線で揺られたのを思い出すよ」

「第壱中学校は飛行機だそうですわ。シンジくんに見せてもらった修学旅行のしおりによると」

「しおりか。懐かしいねえ」

 こらこら、お前たちはなにを和んでいるのだ。

 碇ゲンドウが目を剥いた。

「司令?」

 とそれを抑えるように赤木リツコ博士は執務机によりかかり、すうと微笑んで泣きぼくろをふるわせる。

「エヴァのシンクロは精神的なものに左右されます。安定した起動のためには……あの子たちにだって息抜きは必要です」

「ふん」

 碇ゲンドウは鼻を鳴らす。

「なにか、レイに吹き込んだのか、赤木博士?」

「なにも。レイは……反抗期かも知れません」

 またまた意外な言葉に、碇ゲンドウはたじろいだ。

「レイが、か?」

「張りつめすぎはよくありません。あの子たちにも。思春期ですし、愛情は注いであげるべきではありません?」

「くだらん。修学旅行へ行かせることが愛情か?」

「父親と母親の愛情は違いますわ。厳格であり続けるのが父親の愛情だとしても……MAGIやエヴァは母親ではありませんから」

 そう言って、ちろりと唇を舐める赤木博士の瞳は妖艶だった。

 どうもうまくない会話に落ち込みかけているような気がする碇ゲンドウ。しかしあくまで冷徹に答えた。

「きみが母性主義者だとは意外だったな」

「あら。抱きたいときに抱けるだけの便利な女だと思っておられました?」

 ううぬ、まずいぞ。ふ、冬月先生!

 視線を彷徨わせたゲンドウであったが、冬月コウゾウはいつの間にやら部屋の隅で詰め将棋の本を広げていた。

 プライバシーには干渉せんのだよ、碇。自業自得というやつだな。

 白髪の下の背中が、くくくと笑っている。

 脇の下をじっとりと汗ばませた碇ゲンドウは、くいっと眼鏡を押し上げるとともに、無理矢理に話題も職務に押し上げた。

「よかろう。アダムが失われた今、パイロットの安定は重視せねばなるまい」

 赤木リツコ博士も、ふふふと艶麗に唇を歪めたのを最後に、執務机から離れて姿勢を正した。

「作戦部はパイロットを待機させておくつもりでしょうけれど」

「わかった。葛城一尉にはその必要無しと連絡しておこう」

「シンジくんやアスカも喜びますわ、きっと」



 そういう次第で。

 うやむやになってしまったアダム回収作戦時の賭の分を取り戻そうと、綾波レイは寂れたマンモス団地の一室で新たな策謀を胸に描き、幸せそうに眠ったし。

 ミサトの意外な言葉に驚きつつも、惣流アスカは大慌てで旅行用のボストンバッグをひっぱりだし、嬉々として衣装の選択にいそしんだのだが。

 碇シンジはブンブンと首を横に振った。

「え? いやですよ。ぼく修学旅行なんて行きたくないです」

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