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第16話「瞬間、心、かさねて」

 潮風が自慢の長髪をなぶり、物憂げな瞳が水平線のかなたをさまよう邪魔をする。

 じゃけんに前髪をかきあげたその手をそのまままっすぐにおろし、ぼろろん。

 弦が震える。恋人たちのメロディを奏でる。

「う〜みよぉ〜、青いう〜みよぉ〜」

 青葉シゲル。太平洋に浮かぶ護衛艦の甲板で唄う歌は、どこか調子っぱずれに演歌調だ。

 手にするのがいつものエレキギターではなく、フォークギターだからか。

 あるいは、本部の慣れ親しんだオペレータ席に今も座っているだろう日向マコトや伊吹マヤを羨んでいるからか。

 冬月副司令から内密の指令を受け、葛城一尉につきそってこんなところまで出張させられてきた。

 口元はへらへらしているくせに目が怖い加持リョウジとか言う監察部の兄ちゃんにも、頼んだよと肩を叩かれ送り出された。

 命令そのものは単純だ。エヴァまたはJAが回収したトランクを本部まで安全に移送すること。

 だが理由は聞かされていない。

「ただのビーコンじゃないんですか? なんでわざわざそんなもののために俺が?」

 と喉まで出かかった質問をかろうじて飲み込んだ。

 なんかヤバげな話なのだろう。ネルフにいれば、そんなあやしげな話のひとつやふたつ、いやみっつやよっつ、十や二十は耳にする、お目に掛かる。

 どうやら葛城一尉ですら聞かされてはいないようだし、こりゃあもしかするとかなり重要な任務なのかも。推測は容易だった。

「了解しました!」

 と軍隊ばりに最敬礼して出かけてきたものの。

 暇だ。

 艦橋にいる葛城ミサトだって暇だろう、きっと。アンビリカル・ケーブルを準備してエヴァを海中に送り出してしまえば、帰ってくるまではさして、やることがない。せいぜい、ケーブル長に気を付けるくらいだ。

 青葉シゲルのほうは、形式上はその現地サポータだが、どっちかというと技術部の領域に興味も能力もない。作戦部ですらないし。

 使徒発見、パターン青! と叫ぶのが仕事なんだよなあ、俺って。

 護衛艦にはそんなアナライズシステムは積み込んでいないし、海上自衛隊の連中は胡散臭そうに横目で睨むし、居場所がない。

 トランクが回収されてくれば、それなりに緊張もしようが。それまでは、とにかく暇だ。

 ギターを持ってきて良かった。

 そんなものを持ち込んでいるから、よけいに胡散臭く思われてしまっているのだが、ネルフ本部にすらギター持参で出勤する青葉シゲルは常識がちいと欠けている。

「う〜みよぉ〜」

 豪華クルーザの上ならともかく、兵装に囲まれた甲板では絵にならないが。

 青葉シゲルは、それなりに自己陶酔して海の青さを唄っていた。



 青葉シゲルがそんな調子なので、使徒の青さを発見したのは日本重化学工業共同体の支援船だった。

 発見したと言うより、JAが唐突に粉砕されて、顔色も青ざめる思いからむりやりに気付かされたのだが。

「なんだなんだ、なにがどうした」

 時田シロウはパニックに陥った。

 JAの頭部制御システムが吹っ飛んでいる。電子頭脳やら内燃機関、探査機構は胸部、腹部にあるからまだ動いてはいるが、こちらからの誘導がきかない。

 あっさり目標を発見したというのに、あっさり破壊されてしまった。

「使徒、か!?」

 戦略自衛隊の軍人が目を剥いた。

「ネルフめ、まさか使徒がここにいることを知っていて、こんな実験を行なったのでは!?」

 もちろんそんなはずもないが、疑われても仕方のない日頃の行いの悪いネルフであった。

「おおー、JA。立て、立つんだ、JA」

「時田くん、おちつけ。戦闘装備はしておらんのか?」

「うう、ロケットパンチやダイアモンドドリルはまだ実験段階で装備が間に合わず。キック・パンチは出せますが、そのためには思考回路を戦闘用にシフトさせなければ」

 ATフィールドを持つ使徒相手に、パンチやキックが通用するのかどうかは不明だ。JTフィールドなんてものも、次元が違うので、ない。

「それなら、はやくシフトさせたら」

「うう、そのためにはパスワード『希望』を入れなくては。制御システムが破壊されたのでリモートコントロールできない!」

 役に立たない奴だ、と戦自の武官は顔をしかめた。

 所詮この程度か。非人道的でもなんでも、パイロットを乗せたエヴァのほうが使える奴のようだ。

「ネルフの連中はいったいなにをやっとるのだ?」

 歯がみした武官に、技術員の一人が答えた。

「赤いのとオレンジのは使徒に近づいているようですが。紫のやつは、まだこの船の真下です」

「ああ? 何を考えとるんだ。海自につなげ」



 で、紫のやつ――初号機である。

 碇シンジはもう泣いていない。えへへ、と落ち着いている。

「そうさ、エヴァなんてものが浮くわけないんだ。こんなに重いんだから」

 零号機や弐号機が泳いでいたことは見なかったことにした。

「無理に泳ぐより、走ったほうが速いんに決まってるさ」

 エヴァ初号機はその時、海底にたどりついていた。それほどに深い海域ではない。

 しっかりと二本の足で海底に立ち、碇シンジは満足した。

 よく分からないがトランクなんてものが海中を漂っているわけはあるまい、海底に沈み込んでいるに違いない。

 ならば、泳いでいるより海底を歩み進んでいるほうが発見が容易なのは道理だ。うんうん。

 こんなイベントは前回はなかったから(どこでどうなって歴史が変わったのかはシンジは知らないが)、何が起こるかはよくわからない。まあいいや、のんびりいこう、と。

 すでに勝負に勝つことは諦めてしまっている。

 それほどスケベじゃないし、カヲルくんが懸かっているならともかく、アスカじゃあねえ、というわけ。

 走ったほうが速い、とかいいながら、とてとてとのんびり歩き出した。



 ネルフ本部。

 葛城ミサトから緊急通信が入った。スクリーンに映った彼女の顔はすでに慌てるでもなく、戦闘指揮者の鬼の顔になっていた。

『実験は中止。エヴァ三機の行動を使徒殲滅に変更します』

 やりたまえ、葛城一尉、と。ゲンドウが頷くのを当然と思っている事後報告のような口調である。

 ところが。碇ゲンドウは頷かない。いや、頷けない。

 使徒なんぞはあとでもいい。それより人類補完計画の要、アダムの回収が最優先だ、と言いたいのだ。

 言いたいから、答えに詰まった。

 葛城一尉より、赤木君を派遣しておいたほうが良かったか。などと後悔している。

 ちらりと横に立つ冬月コウゾウの顔を見ると、こちらも、どうにもならんなという表情を浮かべている。

 眼下の発令所フロアを見ると。

 加持リョウジが青ざめていた。

「か、葛城。この実験は大事なんだぞ。そう簡単に中止できるもんか」

『あに言ってんの、あんた』

 当然、葛城ミサトは呆れ返った。

『大事もくそも、目の前に使徒が出てきて実験どころじゃないでしょうが』

「いや、しかし、だな」

 泣きそうな顔で赤木リツコをうかがう加持リョウジ。金髪の科学者は、ほうら、いわんこっちゃない、ってな顔で微苦笑している。

 動きが取れず凍り付いてしまったネルフ本部発令所に、日向マコトの報告が響いた。

「エヴァ弐号機、零号機、使徒に接触します」



「どうなってんのよ?」

 と惣流アスカはまたもや首を傾げた。

 葛城ミサトからは、実験を中止して使徒殲滅の指令が。

 ネルフ本部からは、なぜか加持リョウジの声で、実験続行の指令が。

 なんだかすさまじく混乱している。

「ははん……なんかあるわけね?」

 惣流アスカは馬鹿ではない。サードインパクトも経験してきたことだし。

 裏があるわけね、この実験には、と見抜くくらいは簡単なのであった。が、さて、だからどうするか。

「ファースト?」

 零号機、綾波レイは。

 知ったこっちゃなかったらしい。

 エヴァに反応して近寄ってきた使徒を、あなた、じゃま、とでも言いたげに頭っから無視し、トランクを握りしめたまま頭をつぶされ停止しているJAに向けて泳ぎ進んでいた。

 この賭には負けられないもの。

 相変わらず背中に炎を背負っている。

「そういうこと。なら、あたしだって」

 惣流アスカにしても、別に使徒に恨みがあるわけではない。

 そんなことのために、わざわざサードインパクトより戻ってきたわけじゃあないのだ。

 なんのために、と言われれば自分でもはっきりしないけれど。ともかく、ファーストごときに先を越されるのはむかつく。

 弐号機も、目標をJA手元のトランクに向けた。

「お、おまえらもわいを無視する気ぃかい?」

 残された使徒がムカムカしたかどうかはともかく。

 使徒もふたたび、JAに向き直った。



『シンジくん、急いで。座標はここよ。使徒が出たの、殲滅して!』

 葛城ミサトからの指令に、はいと元気よく答えたのは、碇シンジくんだけだった。

 ああ、シンジくんってば、やっぱり良い子かも。

 誰もに無視される中、ミサトはちょっち感激したが、シンジは別に良い子ではない。

 使徒殲滅が最優先、なのだった、碇シンジには。もちろん、少しでも早く使徒を殲滅して、渚カヲルとの出会いを早めるためである。レゾンデートルってやつだ、今のシンジの。

「使徒か。なんでこんなに早く、こんなところで?」

 てくてく歩きからどかどか駆け足に変更しつつ、碇シンジは思った。

 ようやく、エヴァの視界を通して使徒を確認して、なるほどと合点がいった。

「あ、分裂するやつか。こんなところを歩いてきてたんだ」

 あと数日かけて海底をすすみ、ようやっと日本に上陸するのだろう。自分たちは、いわばそのお迎えにやってきたようなものだ。

 この実験は、もしかして使徒を早期発見するためだったのかな?

 と、碇シンジは適当に解釈した。

 サードインパクトを経てもアダムの眠るトランクのことをシンジは知るはずもないが、使徒の来襲スケジュールはネルフ本部が把握しているだろう事を知っている。

 まあ、なんでもいいや。もうすぐだよ、カヲルくん。

 新たなやる気を見せて初号機は吠える。

「あれ、でも、弱ってる? この使徒?」

 近づいてみると、使徒はもう相当にぼろぼろだった。



「ちょっと、ファースト、放しなさいよ!」

「だめ。これはわたしのもの。だからだめ」

 まだがっちりとトランクを握りしめたままのJAをはさんで、零号機と弐号機は必死にトランクの取り合いをしていた。

 六本の巨人の腕が小さなトランクにかかる。

「えーい、じゃまよ、じゃま」

「あなたこそ、諦めが悪いの」

 訂正。正確には四本だ。

 エヴァ零号機の右手とエヴァ弐号機の左手は、互いに相手の顔面をひねったり押したりしている。

 子どもの喧嘩をエヴァの巨体が再現していた。

 使徒は。

 そのとばっちりを喰らって、ぼこぼこに蹴り倒されていた。

 すっぱり両断してくれれば、分身の術が使えるのに、海の底でぼこりずこりと邪険に殴ったり蹴ったりされるものだから、ただダメージだけを喰らう。

 とても可哀想な使徒だった。



 その気があるわけでもない零号機、弐号機のために、シンジが到着したときにはすでに使徒は虫の息。

 といって。

「大丈夫?」

 なんて初号機がやさしく問いかけてくれるわけでもなし。

 これ幸いと、ずぶりとコアにプログナイフを突き立てた。容赦がない碇シンジくん。

 分裂前だった使徒は、あっさりその一撃で十字の火柱をあげて息絶えた。

「もう! いいかげんに放せえ!」

「くっ!」

 その横で弐号機と零号機も本気になった。

 ふたりの心がひとつになる。互いのシンクロ率が跳ね上がる。

 その馬鹿力に、いくら耐圧処理を施された頑健なトランクとはいえ耐えられるはずもなく。

 ぐしゃ。ぼむ!

「あ」

 胎児のアダムは小さな愛らしい十字の火柱を吹き上げた。



「使徒、殲滅を確認! トランクも……殲滅されました?」

 日向マコトが、いまいち状況が分からないながらも報告し、加持リョウジは火柱こそ上げなかったが、真っ白に燃え尽きた。

「い、碇。どうするんだ……!?」

「も、問題……」

 ない、はずがない。司令塔でも二人の男が殲滅された使徒の顔で凍り付いた。

「あらま」

 赤木リツコ博士は面白そうに目を目開いた。

「これは……たいへんね」

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