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第15話「人の造りしもの2」

 碇シンジは泣きそうになっていた。

 いや、実はもうすでにちょっぴり泣いていた。LCLの中なので涙は溶けだして、見えなかったが。

「どうして。なんで動かないんだよ」

 ボコボコボコ……と初号機は太平洋の底へ沈んでいく。

 ミサトから作戦開始の合図がなされ、アンビリカル・ケーブルの端がつなぎ止められてエヴァに電源を供給してくれる支援船からの係留が解き放たれた途端。

 まっすぐに初号機は海底へと沈んでいった。

 零号機も弐号機も、そしてJAもとうに遙か彼方へとすいすいと泳ぎだしているというのに。

「リツコさん、初号機の整備に失敗したとか……?」

 声に出したわけじゃないからリツコさんにはこの言葉は聞こえなかったが、もし聞こえていたら怒るだろう。初号機だって怒り出す。

 要するに。

 パイロットが泳げないのに、そのコントロールを受けるエヴァだって泳げるわけないのよ、ということ。

 金槌シンジくんが乗ったエヴァも、やはり金槌なのであった。当り前だのクラッカーなのだった。

 ぶくぶくぶく。



「なによ。あのポンコツロボット。速いじゃないの!」

 惣流アスカは惣流アスカで、いまいましげに吐き捨てていた。

 JAの腰蓑から噴射されるジェット水流で、視界がひどく遮られてしまっている。時田シロウが増長するだけあって、JAの機動力は原潜をもはるかにしのぐ。

 エヴァのほうは。

 水中運用試験なんてものは詭弁に過ぎないから、なにも特別な装備が施されているわけではなかった。

 ひとつ、行動半径を広げるため、第三新東京市に備えられているものよりも遙かに長いアンビリカル・ケーブルが、耐圧仕様の極太鋼線鎧装になっているだけだ。エヴァ本体は単なるB型装備。

 これが使徒戦というのなら、赤木リツコ博士も秘蔵のD型攻撃魚雷をそっと取り付けてくれたかもしれないが、そうじゃないから何にもなし。

「むっかつくわねえ」

 惣流アスカがいくら罵っても、自力でなんとか泳ぐしかないのであった。

 悔しいが、泳ぎは綾波レイのほうが巧いようだ。零号機は、JAほどでないにせよ、軽々自在に水中を進んでいる。JAの推進でかき乱された海流を避け、一つ目玉をきらきらさせて、目標トランクを探し求めている。

「むう」

 とアスカは頬をふくらませた。

「にしても。シンジはなにやってんのかしら?」

 レーダーからの情報では、泳ぎ出さず、そのまままっすぐ海底へと向かったようだ。

 泳げないから沈んでる、なんてことは惣流アスカの想像の埒外にあった。なにか意味があってそんな行動をとっているのか、と首をひねる。

「シンジのくせに生意気な……」



 すいすいと泳いでいるように見える零号機綾波レイも、内心はそう余裕いっぱいであるわけではなかった。

 悲しいかな未だオレンジ色のままの零号機。第五使徒に加粒子砲でぼろぼろにされなかったから、改装してもらえない。

 初号機や弐号機のように平たくとんがった、かっちょいい肩部装甲もついていない。試作実験機のままのずんぐりむっくりな兵装。

 カタログスペックな性能で言えば、格段に落ちるのだ。

 それに、目玉もひとつしかない。初号機のふたつ、弐号機のよっつに比べると、捜し物をする場合にはとても損な気がする。意味無く多ければいいというものではないの、とは思うが。気分として頼りない。

 だって、この賭には負けるわけにはいかないもの。

 綾波レイはそう強く念じるのだ。

 ことごとく失敗を続けてきた「碇くんとひとつになりたい私の心に素直に生きるの作戦」。思い返してみると、とてもとてもいい雰囲気になれた可能性の甚だ高い前世でのふれ合いイベントの数々が。

 全て繰り返せぬままに終わった。

 初っぱなに無理矢理唇を奪ったのが失敗であったと綾波レイは思っていた。急ぎすぎたからうまくいかなかった。

 だから搦め手搦め手で迫ろうとしたのに。策士、策に溺れる。これまたてんでダメだった。



 最悪のヤシマ作戦を終え、しょんぼりと肩を落として二子山から戻った綾波レイに、赤木リツコ博士が声を掛けた。

「レイ? いったいどうしたの?」

 伊達にこの数年、綾波レイを育ててきた(というか、メンテナンスしてきた)わけではないのだろう。葛城ミサトあたりには、まるきり変わっている風には見えないレイの態度の微妙な違いを、赤木リツコはちゃんと見抜いた。

「……いえ」

 何でもありません、と答えたレイに、リツコはふふふとやさしく微笑んだ。

「シンジくん、かしら?」

 綾波レイは答えない。

 答えないが、色白の頬をほんのり染めてきょときょと視線をさまよわせておれば、答えているのと同じことだ。

「相談に乗るわよ」

 間違ってもそんな言葉を吐きそうにない赤木リツコ博士が、妙に親身に腰をかがませ顔をのぞきこむものだから。

 綾波レイもつい、こくりと頷いていたのだった。

 マッドサイエンティストと異名をとる赤木リツコのことだ、どんな朴念仁でも一発撃沈の強力媚薬かなにかを調合してくれるかと思いきや(レイがそんな期待をしたわけではないが)、実験室でもターミナルドグマでもなく、ジオフロントの夜景も美しい展望ラウンジに誘われた。

 こんなところに二人で来るのは、初めてのことだった。

「シンジくんはね、まあ、不器用なのよ」

 と、優雅にティーカップを傾けながら、リツコ博士はのたまった。

「それは碇司令も、あなたも同じだけれども、ね」

 あっさりひっくくられてしまった。

 が、考えてみれば、赤木リツコにはそう言う資格があるかも知れない。この三人と最も近しいのは彼女なのだし。

「いえ、メモをとるほどの話じゃないわよ」

 胸ポケットから生徒手帳を取り出し広げてシャープペンをかまえた綾波レイを抑えて、赤木リツコは話を続ける。

「シンジくんが求めているのは、自分に触れてくれる人だわ。でも、自分から積極的に寄っていくことはしないの。甘えたいという思いを持っているけれど、素直に甘えられない。

 だから、向こうから。甘えておいで、と言ってくれる人を欲しがるのよ」

 いやに抽象的で、いやに理屈っぽい。

 葛城ミサトなら、だからなんなのよっ、といらいらしたかも知れないが、綾波レイにはその語り口調が性に合っていたのか、おとなしく真剣に聞いている。

 メモをとるのはやめたが、オレンジジュースには手を出そうとせずに。

「そのくせ、恐がりなの。甘えて良いと言ってもらっても、本当にそうなのか、信じていいんだろうかって疑ってしまう。このへんはミサトとも似ているわね」

 周りの人間をずばずばと切り捨てながら、リツコはふっと自嘲した。

 他人のことはよく見えるわ。自分のことになると、なにをやっているのかしら、まるきり馬鹿なことを繰り返しているだけなのにね。

 やるせなさそうな表情を浮かべるリツコは、レイの目から見ても耽美を感じた。いくら美少女でも、たかが中学生のレイには真似の出来ないような。

 憧れ、という感情を綾波レイは知らなかったが、たぶん、その時に浮かんだ気持ちはそれに近いものだったのだろう。ゆえに、リツコのアドバイスが信じられる気がした。

 いや、頭から信じてしまった。

「ともかく、シンジくんはいつもどこかに不安を感じているから。それを吹き消すように、包んであげればいいのよ。いつもそばにいてあげる、と。心配なんてしないでいいんだと。

 言葉にして、態度にして、信じさせてあげれば、シンジくんはきっと。レイ、あなたにふりむいてくれるわ」

 そう結論して、赤木リツコは微笑んだ。



 これが葛城ミサトであれば、より具体的により現実的に「これこれこうやんなさい」と言ってくれたのだろうが、あいにく赤木リツコはミサトではない。

 真理は語っていたのに、ずいぶん抽象的理論的に話を終えてしまったのが悪かった。

「そうすれば……いかりくんとひとつになれるでしょうか?」

 と、綾波レイもそんな質問をラウンジで飛ばしてしまうほど非常識ではなかったし。いや、質問したほうが良かったかも知れない、そうすれば赤木リツコだって、レイの思惑がかなりヤバげな線に走っていることを気付いただろうから。

 綾波レイはこくこく頷いていただけだったので、赤木リツコは満足し、そして綾波レイも満足した。

 翌日から、綾波レイは、アドバイスをそのままに実行したのだ。精神的に、ではなく物理的に。

 ぴたりと。碇シンジの側から離れないように。

 ネルフ本部はもとより。学校の中でも。人目をはばからず。



「なのに。どうして? なぜひとつになれないの?」

 それはそうだろう、碇シンジはずぶといプレイボーイではない。学校の中でまでべたべたとくっつかれては、レイのことより周りの視線のほうがはるかに気になってしまう。

 二人きりの時にそうされたのなら嬉しかろうが。

 いかんせん、そんな機会というのは、学校にエヴァに忙しいチルドレンの身にはめったになかった。

 しかも惣流アスカが来日してきて、こっちも何を考えているのか、やたらとからんでくるし。

 鈴原トウジがむかむかと「あの女たらし転校生が!」と感じているほどには、碇シンジのほうは状況を喜んではいなかったのである。たとえでれでれしているように見えたとしても。

 過ぎたるは及ばざるが如し。

 照れている、を通り越して、すでに迷惑な気分になってしまっていた。ぜいたくな話だとは思うが。そんなもんなのだった、中学生のシンジくんは。



 そんなわけで、どうもますますシンジに避けられているような気分がする綾波レイ。

 自分よりは器用だと思う惣流アスカの提案したこの賭こそが、千載一遇のチャンスかも知れないと。

 これだけはモノにしてやらなくては、もうあとがない、と。

 くらい海の底、必死に零号機を操っていた。



 エヴァパイロットたちがそれぞれに焦っている中、JAのほうはいたって気楽だ。

 というより、純粋なロボット。脳味噌はないから感情もない。

 ただ黙々とプログラム通りに探査作業をすすめていく。時田シロウの操る管制システムからも、特に命令はやってこない。順調、ということだ。

 この辺りの海域のどこかに沈んでいるという目標を求めて。探査波を飛ばし、金属反応を求めて。

 高機動な推進システムをフル回転させる。

 ごくごく単純な作業であった。

 もし、JAにパイロットが乗っているか、あるいは感情を持ったコンピュータでも積んでいたなら。

 こう叫んだだろう。

「やりぃ。めっけ、めっけ! この勝負、もらったぜ」

 しかしJAに感情はないから、そんな言葉は叫ばない。

 目標物を発見した後は、ただ淡々と回収システムのプログラムルーチンが走り出すだけ。

 したがって。

 その目の前に、海中をずりずりと這い進んできたヤジロベエみたいな腕を持つ使徒が現われても、驚きも慌てもしなかった。

「おれにゃあ関係ねえよ。用があるのはこのトランクだけだからよ」

 使徒など、頭から無視して、トランクに手を伸ばした。

「無視すんじゃねえよ、くぉら」

 使徒もそんな言葉は叫ばずに。ただ黙って、JAの頭部を掴み潰した。

 ぐちゃり。

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