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第11話「アスカ、来日2」

「加持くん……」

 と、それだけで言葉は止まり重々しい沈黙だけが流れたが、無言の威圧をもって叱責しようとしているのではなく。

 純粋に絶句していた。さしもの碇ゲンドウとて。

 冬月副司令もぽかんと口を開けたまま、詰め将棋の手を凍り付かせた。動けない。

 氷点下のネルフ本部総司令室で、加持リョウジだけが頬にニヤニヤ笑いをべったり貼り付けている。

 笑いたいはずも無し。笑えるはずも無し。

 どうしようもないから、そうしている。

「落としてしまいました」で済まないことは、彼が一番よく知っている。知っているからこそ、ドイツから本部へのアダム移送の大任に抜擢され、護衛に弐号機と太平洋艦隊までひきつれてやってきたのだ。

 そのアダムが。今は多分、太平洋深海の藻屑。

 耐圧耐爆耐放射能の頑丈なトランクの中、特殊ベークライトに固められているから魚の餌にはなっていないと思うが。

 不可抗力でした、は事実だが、言い訳にもならなかった。

「どどどどど」

 太鼓の口まねではない、「どうする」と発音できずにどもりまくった冬月コウゾウの声。

 碇ゲンドウにはそれでも通じたようだ。その声に押されるようにして再起動を果たした。

「君には失望した」

 と言いかけたが、やめる。今更役にも立たない叱責をしている場合じゃない。

「サルベージの案はできているのか?」

 止まった時計の針を戻すでもなく、むりやりに押し進めた。この若さでネルフ総司令の大任に就いているだけのことはあるゲンドウであった。

 加持リョウジは。

 正直、洋上での使徒戦以来、全神経がさび付いてしまっていたのだが、この一押しでそれを取り戻すかのように目まぐるしく回転し始めた。

 こいつもなかなかに侮れない。

「もちろんです」

 と大ボラをふいた。

「失敗したままでは終わらせません。俺を信用して下さい。すでに計画は進んでいます。あとは司令の許可をいただくばかりで」

「何日かかる?」

 ゲンドウがそれを見抜いているのかどうかは分からないが。

 この男なら、たとえ見抜いていたとしてもごり押しでガンガン進めてしまいそうだ。実際、質問は微塵も時の停滞を許さない。

「一週間、いえ、二週間あれば、と。ただ」

「なんだ?」

「エヴァ、使わせていただけますか?」

 大ボラ吹き加持リョウジの返答も具体的になってきた。一瞬でそれなりの案をまとめ上げてしまったらしい。

「ううむ」

 と唸ったのは冬月である。

「使徒戦以外にエヴァを持ち出すのは、どうかな。ゼーレはともかく、委員会の許可が下りるまい? 日本政府もいたずらに刺激することになるしな」

「その点はうまくやります。あっちもこっちも丸く収まるように、ね」

「いいだろう。任せる」

 碇ゲンドウは一言で、加持リョウジの命を救った。

「感謝します」

 加持リョウジは思わず出そうになる安堵の溜息と冷や汗を必死に抑えた。



「ううううう」

 こっちでも、どもっている人物がいる。「うそ!?」と言おうとして、いや否定しちゃ変かしら? とつまってしまった惣流アスカだ。

 目の前にはのほほんとした葛城ミサトの顔。

 だらしないタンクトップ姿でビールをかっくらっている。

 今日は休暇である。太平洋まで出張してきて、ついでに使徒まで一匹血祭りにあげてきた翌日だから、お休みくださいと。

 朝からのんびりお風呂につかって、曲がり角はちょいと過ぎちゃったけどまだまだ桜色のお肌をしっとり濡らし、湯上がりの一本としゃれ込んだところで、惣流アスカの襲撃を受けた。

「ちょっと遊びに来たのよ」

 と言いながら、なんだその山のような荷物は。衣装をつめこんだ身体より大きそうなスーツケースを二つも持参であった。

 ネルフ本部の宿舎でのんびり骨休め、するつもりは惣流アスカにはない。

 まだ、あのへんちくりんで卑怯な分裂野郎が襲来していないし、華麗な技も披露していないから、ユニゾン訓練のための同居には早い。

 早いけれども、そんなのを待っている必要も意味もないから、惣流アスカは押し掛け同居を画策して、来日早々やってきたわけだ。

 もちろん、ミサトとの同居ではない。狙うは碇シンジである。

 ところが、読者には自明のことのように、葛城さんちのシンジくんは今は赤木さんちのシンジくんなわけで、整理整頓なんて言葉は生まれてこの方聞いたことも見たこともない風にとっちらかった葛城邸で、惣流アスカは呆然とする羽目になったのである。

「バカシンジは、どこ行ったのよ?」

とは訊けないから、ただ、唸っている。

「あー、そうだ、アスカ。あんたさあ、良かったらうちで一緒に住む?」

 言わせたかったはずの台詞は、あっさりミサトの口から出てきた。

 ただし、シンジがいないらしい今は、まるっきり聞きたくはなくなってしまった台詞だが。

「な、ななな、なによ、藪から雀に?」

「それもいうなら、棒、でしょ。いや、別に無理にってんじゃないんだけどさ。独りで住むにはちょっち広いしね、このマンション。それに」

「それに?」

「サードチルドレンだって、技術部長んちに同居してんのよね。だったら作戦部長のあたしだってチルドレンのひとりやふたり、ひきとってあげてもいいっしょ?」

「な、なぁんですってぇ!?」

「ちょ。なによ大声?」

「技術部長って……あの、赤木リツコでしょうが?」

「あらぁ、よく知ってるわね。ってまあ、当然か。エヴァを作った本人だし」

「当り前よ。っじゃなくって。なぁんでLの字のとこにシ……サードチルドレンがいるのよ!?」

「なんで、って。さあ?」

 そりゃあたしもよくわからんわ、と葛城ミサト。

「リツコが子どもをひきとるなんて柄じゃないと思ってたんだけどねえ。意外とうまくやってるみたいなのよね、これが。あたしなんて……」

 ちょっと苦い思いが胸を締め付けたので、言葉を途切らせたミサト。

「ま、シンジくん――あ、サードチルドレンの名前ね――のことは置いといて。どうよ、アスカ。一緒に住まない? って、どったの?」

「どうもこうも……」

 わな、わなわなっと震えがつま先が握りしめた拳へと。顔もほのかに紅くなって震えている惣流アスカ。

 太平洋からこっち、怒りで赤くなりっぱなしだった。

「その! 赤木リツコんち、教えて、教えなさい、いえ、連れてってよ!」

「へ? なんでまた」

「えっと、その、サードよ、サードよ。エースパイロットたるあたしを迎えに来るはずが顔も見せないなんて、図に乗るにもほどがあるわ。きっちり先輩への礼儀ってやつを教え込んでやらないと」

「いや、先輩って……」

 葛城ミサトは、わずかひいた。

「それに。うーん、あたし、ちょ〜っと苦手なのよねえ」

「リツコを?」

「んじゃなくて。シンジくん」

「はぁ? なんでまた?」

「ん、まあ、色々あってね」

 これはどうも、ずいぶん前とは違っちゃってる展開になってるらしい、と惣流アスカはこまっしゃくれた鼻をぴくぴくさせるのであった。

 バカシンジの分際で。ずいぶん、ひっかきまわしてくれちゃってんじゃないの。

「わかったわ。家だけ教えてよ。地図、書いてくれたら一人でいくからさ」

「いいけど。ずいぶん拘ってんのね?」

「うっさいわね。いいから、書いてよ」

「へいへい」

 おっくうそうにメモ用紙に、しかしさすがは作戦部長、ずいぶんと分かりやすい地図をさらさらと描くその手を見ながら、ふとアスカ。

「もう一人のパイロットは? ファーストチルドレンはどうしてんの?」

「ああ、レイ? レイはね、ひとり暮らししてっけど。でも、どうかなあ。前のここでの使徒戦以来、ずいぶんシンジくんと仲良いみたいだし。あの子もリツコの子飼いだからねえ。いずれリツコんちにひきとられちゃったりして……」

 と最後まで言わさず、惣流アスカはメモ用紙を奪い取って駆けだした。

「なあに慌ててんだか。落ち着きの無いのは相変わらずね」

 残されたミサトは、きょとんとビールの残りをあおった。

「だいたい、今頃の時間に行ったって。シンジくんは学校だし、リツコは本部だし。だあれもいないわよ?」

 本人のいるうちに言ってやるべきだろう。



 惣流アスカが無人の赤木邸に向けて息せき切らしているその頃。

 碇シンジは市立第壱中学2年A組の教室にいた。

 目立たない、まったく目立たない転校生であった彼だが、今はとても目立っている。

 エヴァのパイロットであることがバレた、わけではない。第五使徒戦は街のど真ん中で激しくドンパチらからし、地下に格納されなかった兵装ビル群や非可動ビル群はぼろぼろになっていたし、だいたい、第五使徒の残骸はでんと未だに居座っているままなのだから、使徒もエヴァもすでに秘密ではなくなりつつある。

 が、まだ、エヴァのパイロットとただの中学生を結びつけようとするような人間はいなかった。

 シンジが目立っているのは。

 ひとえに綾波レイのせいなのであった。

「ワシはあいつをなぐらなあかん。殴らな気がすまんのや」

 ぼそりと、鈴原トウジが教室の隅でつぶやいた。

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