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第10話「アスカ、来日」

 にょいんと左右に引っ張られて、薄く滑らかな生地を彩る薔薇の刺繍がゆがむ。

 こんなものを履いていたのでは、お腹を冷やして下痢してしまうのではなかろうかと要らぬ心配をしてしまうほど極端に切りつめられた布地のパンティだ。

「ちょっと……これは恥ずかしいわね」

 ひょいとうち捨てると、次のパンティを手に取り、また品定めに目の前でひっぱる。

 先ほどからとっかえひっかえ、船室中を色とりどりの下着で埋め尽くして、あれこれ思い悩んでは首を捻っているのは。

 エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、惣流アスカラングレー嬢である。

 日本に向けて太平洋上を進む空母の一室で、朝の早くから夢一夜状態の彼女。

 下着フェチではない。

 これから迎える重要なイベント、現世での碇シンジとの初の邂逅に向けて、いくさ衣装を整える姫君なのであった。

「まったくあのバカは……」

 小生意気な鼻の頭にパンティをすりつけるようにして、何度も繰り返した愚痴を今日も重ねる。

 あたしの役に立ちたいんだとか、アスカじゃなきゃ駄目なんだとか、さんざん浮いたせりふを重ねた癖にさ。あまつさえ、人の首、絞めといてさ。

 ちょっと冷たくしてやったら、根性のない! カヲルだかなんだか知んないけど、初めて好きだって言ってくれた人にもう一度会うんだとかって逃げ出しちゃって。

 まぁったく。

 このアスカ様を舐めるのにもホドがあるわよ。

 こんなに可愛い美少女より、男のほうがいいってえの? むかつくむかつくむかつく。

 あたし、知ってんだからね。さんざんあたしをオカズにしてくれちゃってたことだって。

 ああ、だいたい、なによ、あの意気地なし。

 303病室で寝込んじゃってるあたしの、お、おっぱい剥いてくれちゃって。襲いかかってくんのかと思ったら、自分でしちゃうなんて。

 あんたバカ? なんて次元じゃないわよ、あの変態。

 こうなったら女の意地よ。

 あたしなしじゃ生きていけないようにしてやるわ。身も心も捧げさせて、くくくく、あたしの下僕に……。

 まずは、そう最初が肝心よね。

 あたしの悩ましい下着を見せつけて、鼻血ぶっこいているところをパパンと張り手。有無を言わさず裸にひんむいて、前と同じようにあたしのプラグスーツ着せて、弐号機の中で迫ってやるわ。

 あんな根性無し、一発であたしにメロメロよね。見てなさいよ、バカシンジ……、って。

「何やってるんだ、アスカ?」

「え? きゃ、か、加持さん!?」

「ファッションショーかい?」

「え? え? いやぁ、ちょっと見ないでください!」

 ひき散らかした下着を慌ててかき集める惣流アスカだが、加持リョウジのほうも困ってしまった。

 ハデ目の女が好みの加持である。いくら美形でもたかが中学生の少女相手に戸惑うことなどないが、パンティ握りしめて不気味な笑いで涎を垂らしている姿を見せられては――なんと反応して良いものやら、冷や汗しか出てこない。

「あー、そろそろ本部から弐号機の電源ユニットを運んで来るぞ。見に行かないかい」

「い、いく、いくわよ。ちょっと待って」

 どたばたと真っ赤な顔でトランクに下着を詰め込んでいる少女の後ろ姿をみやりながら、加持リョウジはううむと無精髭を撫でるのだった。



 ひょうと一陣の風の吹く。

 仁王立ちに笑みを浮かべる惣流アスカのスカート翻り、赤面するはずの少年は。

 影も形もなかった。

「ミサト?」

「久しぶりね……、アスカ」

「あんた、ひとりなわけ?」

「あ、ええ。サードチルドレンも一緒のはずだったんだけどね」

 そういう指示が出ていたのだが、本人が頑なに拒否した。

 嫌がるものを無理に連れてこれるほど、ミサトはシンジと親しいわけでもなかったし、またサードチルドレンを同行させることに意義を見いだしていたわけでもなかった。

 それならまあいいわん、と高機動ヘリでやって来たのは葛城ミサトただ一人であったのだ。

「に、逃げたわね……」

「逃げたって?」

 怪訝な顔をするミサトに、惣流アスカはなんでもないと首を振った。握り拳は震えていたが。

「でもアスカ、シンジくん……サードチルドレンが一緒でなくて良かったわよ?」

「なんでよ?」

「んー。いや、あたしはべっつにかまわないんだけどねえ。パンツは履いたほうが良いわよ」

「げ」

 か、加持さんのせいで慌てたから……履いてなかったっけ?

 とてもお約束な惣流アスカであった。



 碇シンジはやってこなくとも、使徒はたがわずやってきた。

 理不尽な怒りと恥ずかしさで弐号機よりもプラグスーツよりも真っ赤になった惣流アスカは、ぎりぎり歯を食いしばりながらエントリープラグに身を沈めた。

 葛城ミサトは驚きはしたが、さすがに使徒戦も四度目となると焦りはしない。使うは初号機よりも零号機よりもパイロットの気心知れた弐号機だ。肩の力抜いて、的確な指示を飛ばした。

 加持リョウジは碇ゲンドウにお墨付きをもらって、一足先にと脱出をはかった。

 なによりも大事なトランクを抱えている。弐号機も、ミサトの出張も、実は全てこのトランクを守るため。

「じゃあな、俺、先にいくわ」

 ひらひらと手を振って戦闘機後部コックピットから艦橋のミサトに笑いかける加持だったが、あいにくと。

 弐号機は使徒に引きずられて海中に落ち込んだりはしなかった。

「これもあれも、バカシンジのせいよ」

 惣流アスカは、自らのへっぽこ具合を認めたりしないからこそ、惣流アスカである。

 ママはここに居る。その力に不足はなし。

 弐号機は空母甲板上で使徒を受け止めたまま、パイロットの怒りの炎をそのまま伝えて、紅蓮に燃えるATフィールドを展開した。

 巨大な使徒もその力には逆らえず、内臓ぶちまけて四散した。

 海中に沈んだのは。

 弐号機ではなく、使徒の肉片と、逃げ損ねた加持リョウジの戦闘機だった。



 フォロォオオン。

 波間を裂いて響きわたる弐号機の咆哮の中で、ぷかりと加持は波間に浮かび上がった。

「これは……まずいぞ」

 始まりの人間アダムの胎児を納めたトランクは、深く太平洋の底だ。

 さしもの加持も、コックピットからの脱出がせいぜいで、トランクまで運び出す余裕がなかった。

「碇司令に殺されるか、今ここでトランクを追って海の藻屑と消えるか。それが問題だな」

 ぷかぷかと漂いながら言葉は落ち着いているのだが。顔色は水面よりもなお蒼白である。

「アスカ。……怨むぞ」



 さてその頃、第三新東京市。

 街のど真ん中にその残骸をさらして、回収の遅々として進まない八面体使徒を眺めながら、赤木リツコ博士がひとりごちる。

「今頃、アスカはうまくやってくれてるのかしら? シンジくんがいないと使徒に負けてしまうなんてことはないと思うけれど……。そういえば、JAの完成記念披露会、なかったわね?」

 もっともリツコにとってはJAがどうなろうと知ったことではないので、ひょいと肩をすくめて白衣のポケットから煙草を取り出した。

 JTが無くなると困るけれどもね。

「あの、リツコさん」

 婉然と紫煙を吐き出したリツコに声を掛けたのは、学生服姿のシンジだった。

「あら、シンジくん。学校に行く気になったの?」

「え、ええ。あの、担任の先生に家庭訪問されちゃって。ちゃんと学校に来なくちゃ駄目だって」

 おずおずと切り出す。

「それで、その。進路相談があるから、保護者の人に都合を聞いておけって」

「保護者……?」

 ぽんと手を打って、くすくすリツコは笑い出した。

「そう、私がシンジくんの保護者になるわけね」

「どうですか?」

「いいわよ、ネルフのほうはどうとでも都合がつくから。このあたしが、シンジくんの進路相談ね」

 なにが楽しいのか、忍び笑いのおさまらない赤木リツコだった。

 同じ使徒の残骸を目の前にしていても、太平洋上とはうってかわって、こちらは至極平和そうであった。

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